て候だよ。」
「墨染でも、喜撰でも、所作舞台ではありません、よごれますわ。」
「どうも、これは。きれいなその手巾《ハンケチ》で。」
「散っているもみじの方が、きれいです、払っては澄まないような、こんな手巾。」
「何色というんだい。お志で、石へ月影まで映《さ》して来た。ああ、いい景色だ。いつもここは、といううちにも、今日はまた格別です。あいかわらず、海も見える、城も見える。」
 といった。
 就中《なかんずく》、公孫樹《いちょう》は黄なり、紅樹、青林、見渡す森は、みな錦葉《もみじ》を含み、散残った柳の緑を、うすく紗《しゃ》に綾取《あやど》った中に、層々たる城の天守が、遠山の雪の巓《いただき》を抽《ぬ》いて聳《そび》える。そこから斜《ななめ》に濃い藍《あい》の一線を曳《ひ》いて、青い空と一刷《ひとはけ》に同じ色を連ねたのは、いう迄もなく田野と市街と城下を巻いた海である。荒海ながら、日和の穏かさに、渚《なぎさ》の浪は白菊の花を敷流す……この友禅をうちかけて、雪国の町は薄霧を透《とお》して青白い。その袖と思う一端に、周囲三里ときく湖は、昼の月の、半円なるかと視《なが》められる。
「お米坊。」
 おじさんは、目を移して、
「景色もいいが、容子《ようす》がいいな。――提灯屋の親仁《おやじ》が見惚《みと》れたのを知ってるかい。
(その提灯を一つ、いくらです。)といったら、
(どうぞ早や、お持ちなされまして……お代はおついでの時、)……はどうだい。そのかわり、遠国他郷のおじさんに、売りものを新聞づつみ、紙づつみにしようともしないんだぜ。豈《あに》それ見惚れたりと言わざるを得んやだ、親仁。」
「おっしゃい。」
 と銚子《ちょうし》のかわりをたしなめるような口振で、
「旅の人だか何だか、草鞋《わらじ》も穿《は》かないで、今時そんな、見たばかりで分りますか。それだし、この土地では、まだ半季勘定がございます。……でなくってもさ、当寺《おてら》へお参りをする時、ゆきかえり通るんですもの。あの提灯屋さん、母に手を曳《ひ》かれた時分から馴染《なじみ》です。……いやね、そんな空《から》お世辞をいって、沢山。……おじさんお参りをするのに極《きま》りが悪いもんだから、おだてごかしに、はぐらかして。」
「待った、待った。――お京さん――お米坊、お前さんのお母《っか》さんの名だ。」
「はじめまして伺います
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