で幽霊をいう奴があるものか。それも蜻蛉の幽霊。」
「蛇や、蝮でさえなければ、蜥蜴《とかげ》が化けたって、そんなに可恐《こわ》いもんですか。」
「居るかい。」
「時々。」
「居るだろうな。」
「でも、この時節。」
「よし、私だって驚かない。しかし、何だろう、ああ、そうか。おはぐろとんぼ、黒とんぼ。また、何とかいったっけ。漆のような真黒《まっくろ》な羽のひらひらする、繊《ほそ》く青い、たしか河原蜻蛉とも云ったと思うが、あの事じゃないかね。」
「黒いのは精霊蜻蛉ともいいますわ。幽霊だなんのって、あの爺《じじ》い。」
 その時であった。
「ああ。」
 と、お米が声を立てると、
「酷《ひど》いこと、墓を。」
 といった。声とともに、着た羽織をすっと脱いだ、が、紐をどう解いたか、袖をどう、手の菊へ通したか、それは知らない。花野を颯《さっ》と靡《なび》かした、一筋の風が藤色に通るように、早く、その墓を包んだ。
 向う傾けに草へ倒して、ぐるぐる巻というよりは、がんじ搦《がら》みに、ひしと荒縄の汚いのを、無残にも。
「初路さんを、――初路さんを。」
 これが女※[#くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]の碑だったのである。
「茣蓙《ござ》にも、蓆《むしろ》にも包まないで、まるで裸にして。」
 と気色《けしき》ばみつつ、且つ恥じたように耳朶《みみたぶ》を紅くした。
 いうまじき事かも知れぬが、辻町の目にも咄嵯《とっさ》に印したのは同じである。台石から取って覆《か》えした、持扱いの荒くれた爪摺《つまず》れであろう、青々と苔の蒸したのが、ところどころ※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》られて、日の隈《くま》幽《かすか》に、石肌の浮いた影を膨らませ、影をまた凹ませて、残酷に搦《から》めた、さながら白身の窶《やつ》れた女を、反接|緊縛《きんばく》したに異ならぬ。
 推察に難《かた》くない。いずれかの都合で、新しい糸塚のために、ここの位置を動かして持運ぼうとしたらしい。
 が、心ない仕業をどうする。――お米の羽織に、そうして、墓の姿を隠して好《よ》かった。花やかともいえよう、ものに激した挙動《ふるまい》の、このしっとりした女房の人柄に似ない捷《すばや》い仕種《しぐさ》の思掛けなさを、辻町は怪しまず、さもありそうな事と思ったのは、お京の娘だからであった。こんな場に出
前へ 次へ
全31ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング