つい口へ出た。(蜻蛉が大層飛んでいますね。)歯医師《はいしゃ》が(はあ、早朝からですよ。)と云ったがね。その時は四時過ぎです。
帰途《かえり》に、赤坂見附で、同じことを、運転手に云うと、(今は少くなりました。こんなもんじゃありません。今朝六時頃、この見附を、客人で通りました時は、上下、左右すれ違うとサワサワと音がします。青空、青山、正面の雪の富士山の雲の下まで裾野を蔽《おお》うといいます紫雲英《げんげ》のように、いっぱいです。赤蜻蛉に乗せられて、車が浮いて困ってしまいました。こんな経験ははじめてです。)と更《あらた》めて吃驚《びっくり》したように言うんだね。私も、その日ほど夥《おびただ》しいのは始めてだったけれど、赤蜻蛉の群の一日都会に漲《みなぎ》るのは、秋、おなじ頃、ほとんど毎年と云ってもいい。子供のうちから大好きなんだけれど、これに気のついたのは、――うっかりじゃないか――この八九年以来なんだが、月はかわりません。きっと十月、中の十日から二十日《はつか》の間、三年つづいて十七日というのを、手帳につけて覚えています。季節、天気というものは、そんなに模様の変らないものと見えて、いつの年も秋の長雨、しけつづき、また大あらしのあった翌朝《あくるあさ》、からりと、嘘のように青空になると、待ってたように、しずめたり浮いたり、風に、すらすらすらすらと、薄い紅《あか》い霧をほぐして通る。
――この辺は、どうだろう。」
「え。」
話にききとれていたせいではあるまい、お米の顔は緋葉《もみじ》の蔭にほんのりしていた。
「……もう晩《おそ》いんでしょう、今日は一つも見えませんわ。前の月の命日に参詣《おまいり》をしました時、山門を出て……あら、このいい日和にむら雨かと思いました。赤蜻蛉の羽がまるで銀の雨の降るように見えたんです。」
「一ツずつかね。」
「ひとツずつ?」
「ニツずつではなかったかい。」
「さあ、それはどうですか、ちょっと私気がつきません。」
「気がつくまい、そうだろう。それを言いたかったんだ、いまの蜻蛉の群の話は。それがね、残らず、二つだよ、比翼なんだよ。その刺繍《ししゅう》の姿と、おなじに、これを見て土地の人は、初路さんを殺したように、どんな唄を唱うだろう。
みだらだの、風儀を乱すの、恥を曝《さら》すのといって、どうする気だろう。浪で洗えますか、火で焼けますか、
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