ぞに出向いた事のない奴《やつ》が、」
 辻町は提灯を押えながら、
「酒買い狸が途惑《とまどい》をしたように、燈籠をぶら下げて立っているんだ。
 いう事が捷早《すばや》いよ、お京さん、そう、のっけにやられたんじゃ、事実、親類へ供えに来たものにした処で、そうとはいえない。
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――初路さんのお墓は――
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 いかにも、若い、優しい、が、何だか、弱々とした、身を投げた女の名だけは、いつか聞いていた。
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――お墓の場所は知っていますか――
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 知るもんですか。お京さんが、崖で夜露に辷《すべ》る処へ、石ころ道が切立《きった》てで危いから、そんなにとぼついているんじゃ怪我をする。お寺へ預けて、昼間あらためて、お参りを、そうなさい、という。こっちはだね。日中《ひなか》のこのこ出られますか。何、志はそれで済むからこの石の上へ置いたなり帰ろうと、降参に及ぶとね、犬猫が踏んでも、きれいなお精霊《しょうりょう》が身震いをするだろう。――とにかく、お寺まで、と云って、お京さん、今度は片褄《かたづま》をきりりと端折《はしょ》った。
 こっちもその要心から、わざと夜になって出掛けたのに、今頃まで、何をしていたろう。(遊んでいた。世の中の煩《うる》ささがなくて寺は涼しい。裏縁に引いた山清水に……西瓜《すいか》は驕《おご》りだ、和尚さん、小僧には内証《ないしょ》らしく冷して置いた、紫陽花《あじさい》の影の映る、青い心太《ところてん》をつるつる突出して、芥子《からし》を利かして、冷い涙を流しながら、見た処三百ばかりの墓燈籠と、草葉の影に九十九ばかり、お精霊の幻を見て涼んでいた、その中に初路さんの姿も。)と、お京さん、好《すき》なお転婆をいって、山門を入った勢《いきおい》だからね。……その勢だから……向った本堂の横式台、あの高い処に、晩出《おそで》の参詣《さんけい》を待って、お納所《なっしょ》が、盆礼、お返しのしるしと、紅白の麻糸を三宝に積んで、小机を控えた前へ。どうです、私が引込《ひっこ》むもんだから、お京さん、引取った切籠燈《きりこ》をツイと出すと、
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――この春、身を投げた、お嬢さんに。……心中を仕損った、この人の、こころざし――
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 私は門まで遁出《にげだ》した
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