いますともね。だが何ですよ。成《なり》たけ両方をゆっくり取るようにしておかないと、当節は喧《やかま》しいんだからね。距離をその八尺ずつというお達しでさ、御承知でもございましょうがね。」
「ですからなお恐入りますんで、」
「そこにまたお目こぼしがあろうッてもんですよ、まあ、口明《くちあけ》をなさいまし。」
「難有《ありがと》う存じます。」
などは毎々の事。
二
この次第で、露店の間《あわい》は、どうして八尺が五尺も無い。蒟蒻《こんにゃく》、蒲鉾《かまぼこ》、八ツ頭《がしら》、おでん屋の鍋《なべ》の中、混雑《ごたごた》と込合って、食物店《たべものみせ》は、お馴染《なじみ》のぶっ切飴《きりあめ》、今川焼、江戸前取り立ての魚焼《うおやき》、と名告《なのり》を上げると、目の下八寸の鯛焼《たいやき》と銘を打つ。真似《まね》はせずとも可《い》い事を、鱗焼《うろこやき》は気味が悪い。
引続いては兵隊饅頭《へいたいまんじゅう》、鶏卵入《たまごいり》の滋養麺麭《じようパン》。……かるめら焼のお婆さんは、小さな店に鍋一つ、七つ五つ、孫の数ほど、ちょんぼりと並べて寂《さみ》しい。
茶めし餡掛《あんかけ》、一品料理、一番高い中空の赤行燈《あかあんどう》は、牛鍋の看板で、一山三銭二銭に鬻《ひさ》ぐ。蜜柑《みかん》、林檎《りんご》の水菓子屋が負けじと立てた高張《たかはり》も、人の目に着く手術《てだて》であろう。
古靴屋の手に靴は穿《は》かぬが、外套《がいとう》を売る女の、釦《ぼたん》きらきらと羅紗《らしゃ》の筒袖。小間物店《こまものみせ》の若い娘が、毛糸の手袋|嵌《は》めたのも、寒さを凌《しの》ぐとは見えないで、広告めくのが可憐《いじ》らしい。
気取ったのは、一軒、古道具の主人、山高帽。売っても可《い》いそうな肱掛椅子《ひじかけいす》に反身《そりみ》の頬杖《ほおづえ》。がらくた壇上に張交《はりま》ぜの二枚屏風《にまいびょうぶ》、ずんどの銅《あか》の花瓶に、からびたコスモスを投込んで、新式な家庭を見せると、隣の同じ道具屋の亭主は、炬燵櫓《こたつやぐら》に、ちょんと乗って、胡坐《あぐら》を小さく、風除《かぜよ》けに、葛籠《つづら》を押立《おった》てて、天窓《あたま》から、その尻まですっぽりと安置に及んで、秘仏はどうだ、と達磨《だるま》を極《き》めて、寂寞《じゃくまく》として定《じょう》に入《い》る。
「や、こいつア洒落《しゃれ》てら。」
と往来が讃《ほ》めて行《ゆ》く。
黒い毛氈《もうせん》の上に、明石《あかし》、珊瑚《さんご》、トンボの青玉が、こつこつと寂《さ》びた色で、古い物語を偲《しの》ばすもあれば、青毛布《あおげっと》の上に、指環《ゆびわ》、鎖、襟飾《えりかざり》、燦爛《さんらん》と光を放つ合成金の、新時代を語るもあり。……また合成銀と称《とな》えるのを、大阪で発明して銀煙草《ぎんぎせる》を並べて売る。
「諸君、二円五十銭じゃ言うたんじゃ、可《え》えか、諸君、熊手屋が。露店の売品の値価《ねだん》にしては、いささか高値《こうじき》じゃ思わるるじゃろうが、西洋の話じゃ、で、分るじゃろう。二円五十銭、可えか、諸君。」
と重なり合った人群集《ひとだかり》の中に、足許《あしもと》の溝の縁に、馬乗提灯《うまのりぢょうちん》を動き出しそうに据えたばかり。店も何も無いのが、額を仰向《あおむ》けにして、大口を開《あ》いて喋《しゃべ》る……この学生風な五ツ紋は商人《あきんど》ではなかった。
ここらへ顔出しをせねばならぬ、救世軍とか云える人物。
「そこでじゃ諸君、可《え》えか、その熊手の値を聞いた海軍の水兵君が言わるるには、可《よし》、熊手屋、二円五十銭は分った、しかしながらじゃな、ここに持合わせの銭が五十銭ほか無い。すなわちこの五十銭を置いて行《ゆ》く。直ぐに後金《あときん》の二円を持って来るから受取っておいてくれい。熊手は預けて行《ゆ》くぞ、誰も他《ほか》のものに売らんようになあ、と云われましたが、諸君。
手附《てつけ》を受取って物品を預っておくんじゃからあ、」
と俯向《うつむ》いて、唾を吐いて、
「じゃから諸君、誰にしても異存はあるまい。宜《よろ》しゅうございます。行っていらっしゃいと云うて、その金子《かね》を請取《うけと》ったんじゃ、可《え》えか、諸君。ところでじゃ、約束通りに、あとの二円を持って、直ぐにその熊手を取りに来れば何事もありませんぞ。
そうら、それが遣《や》って来ん、来んのじゃ諸君、一時間|経《た》ち、二時間経ち、十二時が過ぎ、半が過ぎ、どうじゃ諸君、やがて一時頃まで遣って来んぞ。
他《ほか》の露店は皆仕舞うたんじゃ。それで無うてから既に露店の許された時間は経過して、僅《わずか》に巡行の警官が見て見ぬ振《ふり》
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