《さま》を目前《めのまえ》に浮べて、ぎょっとした。
 どうやら、片手無い、その切口が、茶袋の口を糸でしめたように想われるのである。
「それには及ばんですよ、ええ、何の、御新姐《ごしんぞ》。」と面啖《めんくら》って我知らず口走って、ニコチンの毒を説く時のような真面目《まじめ》な態度になって、衣兜《かくし》に手を突込《つっこ》んで、肩をもそもそと揺《ゆす》って、筒服《ずぼん》の膝を不状《ぶざま》に膨らましたなりで、のそりと立上ったが、忽《たちま》ちキリキリとした声を出した。
「嫁娶《よめどり》々々!」
 長提灯《ながぢょうちん》の新しい影で、すっすと、真新しい足袋を照らして、紺地へ朱で、日の出を染めた、印半纏《しるしばんてん》の揃衣《そろい》を着たのが二十四五人、前途《ゆくて》に松原があるように、背《せな》のその日の出を揃えて、線路際を静《しずか》に練る……
 結構そうなお爺さんの黒紋着《くろもんつき》、意地の悪そうな婆さんの黄色い襟も交《まじ》ったが、男女《なんにょ》合わせて十四五人、いずれも俥《くるま》で、星も晴々と母衣《ほろ》を刎《は》ねた、中に一台、母衣を懸けたのが当の夜《よ》の縁女であろう。
 黒小袖の肩を円く、但し引緊《ひきし》めるばかり両袖で胸を抱いた、真白《まっしろ》な襟を長く、のめるように俯向《うつむ》いて、今時は珍らしい、朱鷺色《ときいろ》の角隠《つのかくし》に花笄《はなこうがい》、櫛《くし》ばかりでも頭《つむり》は重そう。ちらりと紅《くれない》の透《とお》る、白襟を襲《かさ》ねた端に、一筋キラキラと時計の黄金鎖《きんぐさり》が輝いた。
 上が身を堅く花嫁の重いほど、乗せた車夫は始末のならぬ容体《ようだい》なり。妙な処へ楫《かじ》を極《き》めて、曳据《ひきす》えるのが、がくりとなって、ぐるぐると磨骨《みがきぼね》の波を打つ。

       十

 露店の目は、言合わせたように、きょときょとと夢に辿《たど》る、この桃の下路《したみち》を行《ゆ》くような行列に集まった。
 婦《おんな》もちょいと振向いて、(大道|商人《あきんど》は、いずれも、電車を背後《うしろ》にしている)蓬莱《ほうらい》を額に飾った、その石のような姿を見たが、衝《つ》と向《むき》をかえて、そこへ出した懐炉《かいろ》に手を触って、上手に、片手でカチンと開けて、熟《じっ》と俯向《うつむ》いて、灰を吹きつつ、
「無駄だねえ。」
 と清《すずし》い声、冷《ひやや》かなものであった。
「弘法大師御夢想のお灸《きゅう》であすソ、利きますソ。」
 と寝惚《ねぼ》けたように云うと斉《ひと》しく、これも嫁入を恍惚《うっとり》視《なが》めて、あたかもその前に立合わせた、つい居廻りで湯帰りらしい、島田の乱れた、濡手拭《ぬれてぬぐい》を下げた娘《しんぞ》の裾《すそ》へ、やにわに一束の線香を押着《おッつ》けたのは、あるが中にも、幻のような坊様で。
 つくねんとして、一人、影法師のように、びょろりとした黒紬《くろつむぎ》の間伸びた被布《ひふ》を着て、白髪《しらが》の毛入道に、ぐたりとした真綿の帽子。扁平《ひらった》く、薄く、しかも大ぶりな耳へ垂らして、環珠数《わじゅず》を掛けた、鼻の長い、頤《おとがい》のこけた、小鼻と目が窪んで、飛出した形の八の字眉。大きな口の下唇を反らして、かッくりと抜衣紋《ぬきえもん》。長々と力なげに手を伸ばして、かじかんだ膝を抱えていたのが、フト思出した途端に、居合わせた娘の姿を、男とも女とも弁別《わさま》える隙《ひま》なく、馴《な》れてぐんなりと手の伸びるままに、細々と煙の立つ、その線香を押着《おッつ》けたものであろう。
 この坊様《ぼんさま》は、人さえ見ると、向脛《むこうずね》なり踵《かかと》なり、肩なり背なり、燻《くす》ぼった鼻紙を当てて、その上から線香を押当てながら、
「おだだ、おだだ、だだだぶだぶ、」と、歯の無い口でむぐむぐと唱えて、
「それ、利くであしょ、ここで点《す》えるは施行《せぎょう》じゃいの。艾《もぐさ》入《い》らずであす。熱うもあすまいがの。それ利くであしょ。利いたりゃ、利いたら、しょなしょなと消しておいて、また使うであすソ。それ利くであしょ。」と嘗《な》め廻す体《てい》に、足許《あしもと》なんぞじろじろと見て商う。高野山秘法の名灸。
 やにわに長い手を伸ばされて、はっと後しざりをする、娘の駒下駄《こまげた》、靴やら冷飯《ひやめし》やら、つい目が疎いかして見分けも無い、退《の》く端の褄《つま》を、ぐいと引いて、
「御夢想のお灸であすソ、施行じゃいの。」
 と鯰《なまず》が這うように黒被布の背を乗出して、じりじりと灸を押着《おッつ》けたもの、堪《たま》ろうか。
「あれえ、」
 と叫んで、ついと退《の》く、ト脛《はぎ》が白く、横町
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