上げますウ、剪刀《はさみ》、剃刀磨《かみそりとぎ》にイ、一度ウ磨がせましても、二銭とウ三銭とは右から左イ……」
 と賽《さい》の目に切った紙片《かみきれ》を、膝にも敷物にもぱらぱらと夜風に散らして、縞《しま》の筒袖|凜々《りり》しいのを衝《つ》と張って、菜切庖丁に金剛砂《こんごうしゃ》の花骨牌《はながるた》ほどな砥を当てながら、余り仰向いては人を見ぬ、包ましやかな毛糸の襟巻、頬の細いも人柄で、大道店の息子株。
 押並んで、めくら縞の襟の剥《は》げた、袖に横撫《よこなで》のあとの光る、同じ紺のだふだふとした前垂《まえだれ》を首から下げて、千草色の半股引《はんももひき》、膝のよじれたのを捻《ねじ》って穿《は》いて、ずんぐりむっくりと肥《ふと》ったのが、日和下駄で突立《つった》って、いけずな忰《せがれ》が、三徳用大根|皮剥《かわはぎ》、というのを喚《わめ》く。

       五

 その鯉口《こいぐち》の両肱《りょうひじ》を突張《つっぱ》り、手尖《てさき》を八ツ口へ突込《つっこ》んで、頸《うなじ》を襟へ、もぞもぞと擦附けながら、
「小母《おば》さん、買ってくんねえ、小父的《おじき》買いねえな。千六本に、おなますに、皮剥《かわはぎ》と一所に出来らあ。内が製造元だから安いんだぜ。大小《でいしょう》あらあ。大《でい》が五銭で小が三銭だ。皮剥一ツ買ったってお前《めえ》、三銭はするぜ、買っとくんねえ、あ、あ、あ、」
 と引捻《ひんねじ》れた四角な口を、額まで闊《かつ》と開けて、猪首《いくび》を附元《つけもと》まで窘《すく》める、と見ると、仰状《のけざま》に大欠伸《おおあくび》。余り度外《どはず》れなのに、自分から吃驚《びっくり》して、
「はっ、」と、突掛《つっかか》る八ツ口の手を引張出して、握拳《にぎりこぶし》で口の端《はた》をポン、と蓋《ふた》をする、トほっと真白《まっしろ》な息を大きく吹出す……
 いや、順に並んだ、立ったり居たり、凸凹としたどの店も、同じように息が白い。むらむらと沈んだ、燻《くすぶ》った、その癖、師走空に澄透《すみとお》って、蒼白《あおじろ》い陰気な灯《あかり》の前を、ちらりちらりと冷たい魂が※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]《さまよ》う姿で、耄碌頭布《もうろくずきん》の皺《しわ》から、押立《おった》てた古服の襟許《えりもと》から、汚れた襟巻の襞※[#「ころもへん+責」、第3水準1−91−87]《ひだ》の中から、朦朧《もうろう》と顕《あらわ》れて、揺れる火影《ほかげ》に入乱れる処を、ブンブンと唸《うな》って来て、大路《おおじ》の電車が風を立てつつ、颯《さっ》と引攫《ひっさら》って、チリチリと紫に光って消える。
 とどの顔も白茶《しらちゃ》けた、影の薄い、衣服前垂《きものまえだれ》の汚目《よごれめ》ばかり火影に目立って、煤《すす》びた羅漢の、トボンとした、寂しい、濁った形が溝端《みぞばた》にばらばらと残る。
 こんな時は、時々ばったりと往来が途絶えて、その時々、対合《むかいあ》った居附《いつき》の店の電燈|瓦斯《がす》の晃々《こうこう》とした中に、小僧の形《かげ》や、帳場の主人、火鉢の前の女房《かみさん》などが、絵草子の裏、硝子《がらす》の中、中でも鮮麗《あざやか》なのは、軒に飾った紅入友染《べにいりゆうぜん》の影に、くっきりと顕《あらわ》れる。
 露店は茫《ぼう》として霧に沈む。
 たちまち、ふらふらと黒い影が往来へ湧《わ》いて出る。その姿が、毛氈《もうせん》の赤い色、毛布《けっと》の青い色、風呂敷の黄色いの、寂《さみ》しい媼《ばあ》さんの鼠色まで、フト判然《はっきり》と凄《すご》い星の下に、漆のような夜の中に、淡い彩《いろどり》して顕れると、商人連《あきゅうどれん》はワヤワヤと動き出して、牛鍋《ぎゅうなべ》の唐紅《とうべに》も、飜然《ひらり》と揺《ゆら》ぎ、おでん屋の屋台もかッと気競《きおい》が出て、白気《はくき》濃《こま》やかに狼煙《のろし》を揚げる。翼の鈍《のろ》い、大きな蝙蝠《こうもり》のように地摺《じずり》に飛んで所を定めぬ、煎豆屋《いりまめや》の荷に、糸のような火花が走って、
「豆や、煎豆、煎立豆や、柔い豆や。」
 と高らかに冴《さ》えて、思いもつかぬ遠くの辻のあたりに聞える。
 また一時《ひとしきり》、がやがやと口上があちこちにはじまるのである。
 が、次第に引潮が早くなって、――やっと柵《しがらみ》にかかった海草のように、土方の手に引摺《ひきず》られた古股引《ふるももひき》を、はずすまじとて、媼《ばあ》さんが曲った腰をむずむずと動かして、溝の上へ膝を摺出《ずりだ》す、その効《かい》なく……博多の帯を引掴《ひッつか》みながら、素見《ひやかし》を追懸
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