に、寂しく、遠方《おちかた》を幽《かすか》に、――そして幽冥《ゆうめい》の界《さかい》を暗《やみ》から闇へ捜廻《さがしまわ》ると言った、厄年十九の娘の名は、お稲と云ったのを鋭く聞いた――仔細《しさい》あって忘れられぬ人の名なのであるから。――
「おかみさん、この芝居はどういう筋だい。」
「はいはい、いいえ、貴下《あなた》、子供が出たらめに致しますので、取留めはございませんよ。何の事でございますか、私どもは一向に分りません。それでも稽古《けいこ》だの何のと申して、それは騒ぎでございましてね、はい、はい、はい。」
 で手を揉《も》み手を揉み、正面《まとも》には顔を上げずに、ひょこひょこして言う。この古女房は、くたびれた藍色《あいいろ》の半纏《はんてん》に、茶の着もので、紺足袋に雪駄穿《せったばき》で居たのである。
「馬鹿にしやがれ。へッ、」
 と唐突《だしぬけ》に毒を吐いたは、立睡《たちねむ》りで居た頬被りで、弥蔵《やぞう》の肱《ひじ》を、ぐいぐいと懐中《ふところ》から、八ツ当りに突掛《つっか》けながら、
「人、面白くもねえ、貴方様お掛け遊ばせが聞いて呆《あき》れら。おはいはい、襟許《えりもと》に着きやがって、へッ。俺の方が初手ッから立ってるんだ。衣類《きるい》に脚が生えやしめえし……草臥《くたび》れるんなら、こっちが前《さき》だい。服装《みなり》で価値《ねだん》づけをしやがって、畜生め。ああ、人間|下《さが》りたくはねえもんだ。」
 古女房は聞かない振《ふり》で、ちょこちょこと走って退《の》いた。一体、縁台まで持添えて、どこから出て来たのか、それは知らない。そうして引返《ひっかえ》したのは町の方。
 そこに、先刻《さっき》の編笠|目深《まぶか》な新粉細工が、出岬《でさき》に霞んだ捨小舟《すておぶね》という形ちで、寂寞《じゃくまく》としてまだ一人居る。その方へ、ひょこひょこ行《ゆ》く。
 ト頬被りは、じろりと見遣って、
「ざまあ見ろ、巫女《いちこ》の宰取《さいとり》、活《い》きた兄哥《あにい》の魂が分るかい。へッ、」と肩をしゃくりながら、ぶらりと見物の群《むれ》を離れた。
 ついでに言おう、人間を挟みそうに、籠と竹箸《たけばし》を構えた薄気味の悪い、黙然《だんまり》の屑屋《くずや》は、古女房が、そっち側の二人に、縁台を進めた時、ギロリと踏台の横穴を覗《のぞ》いたが、それ
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