ら、可《よ》いかえ、柔順《おとな》しく御殿を出《で》や。あれを左へ突当《つきあた》つて、ずツと右へ廻つてお庭に出《で》や。お裏門の錠はまだ下りては居《い》ぬ。可《よ》いかえ。」
「うゝ。」
「分つたな。」
「うーむ。」
雖然《けれども》、局《つぼね》が立停《たちどま》ると、刀とともに奥の方へ突返《つっかえ》らうとしたから、其処《そこ》で、袿《うちぎ》の袖《そで》を掛けて、曲《くせ》ものの手を取つた。それが刀を持たぬ方の手なのである。荒《あら》き風に当るまい、手弱女《たおやめ》の上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょうろう》の此の振舞《ふるまい》は讃歎に値する。
さて手を取つて、其のまゝなやし/\、お表出入口の方へ、廊下の正面を右に取つて、一曲《ひとまが》り曲つて出ると、杉戸《すぎと》が開《あ》いて居て、畳《たたみ》の真中に火桶《ひおけ》がある。
其処《そこ》には、踏んで下りる程の段はないが、一段低く成つて居た。ために下りるのに、逆上した曲ものの手を取つた局は、渠《かれ》を抱くばかりにしたのである。抱くばかりにしたのだが、余所目《よそめ》には手負《てお》へる鷲《わし》に、丹頂《たんちょう》の鶴《つる》が掻掴《かいつか》まれたとも何ともたとふべき風情《ふぜい》ではなかつた。
折悪《おりあし》く一人の宿直士《とのい》、番士《ばんし》の影も見えぬ。警護の有余《ありあま》つた御館《おやかた》ではない、分けて黄昏《たそがれ》の、それぞれに立違《たちちが》つたものと見える。欄間《らんま》から、薄《うす》もみぢを照《てら》す日影が映《さ》して、大《おおき》な番火桶《ばんひおけ》には、火も消えかゝつて、灰ばかり霜《しも》を結んで侘《わび》しかつた。
局が、自分|先《ま》づ座に直《なお》つて、
「とにかく、落着いて下に居《い》や。」
曲《くせ》ものは、仁王立《におうだち》に成つて、じろ/\と瞰下《みおろ》した。しかし足許《あしもと》はふら/\して居る。
「寒いな、さ、手をかざしや。」
と、美しく艶《えん》なお局《つぼね》が、白く嫋《しなや》かな手で、炭《す》びつを取つて引寄せた。
「うゝ、うゝ。」
とばかりだが、それでも、どつかと其処《そこ》に坐つた。
「其方《そち》は煙草《たばこ》を持たぬかえ。」
すると、此の乱心ものは、慌《あわただ》
前へ
次へ
全26ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング