まざ/\と信じて居《お》る。――関所に立向《たちむか》つて、大音《だいおん》に(権現《ごんげん》が通る。)と呼ばはれ、速《すみやか》に門を開《ひら》く。」
「恐れ……恐多《おそれおお》い事――承《うけたまわ》りまするも恐多い。陪臣《ばいしん》の分《ぶん》を仕《つかまつ》つて、御先祖様お名をかたります如き、血反吐《ちへど》を吐《は》いて即死をします。」
 と、わな/\と震へて云つた。
「臆病もの。……可《よ》し。」
「計《はか》らひ取らせう。」
 同音《どうおん》に、
「関所!」
 と呼ぶと、向うから歩行《ある》くやうに、する/\と真夜中の箱根の関所が、霧を被《かず》いて出て来た。
 山伏《やまぶし》の首が、高く、鎖《とざ》した門を、上から俯向《うつむ》いて見込む時、小法師《こほうし》の姿は、ひよいと飛んで、棟木《むなぎ》に蹲《しゃが》んだ。
「権現《ごんげん》ぢや。」
「罷通《まかりとお》るぞ!」
 哄《どっ》と笑つた。
 小法師の姿は東《あずま》の空へ、星の中に法衣《ころも》の袖《そで》を掻込《かいこ》んで、うつむいて、すつと立つ、早走《はやばしり》と云つたのが、身動きもしないやうに、次第々々に高く上《あが》る。山伏の形は、腹這《はらば》ふ状《さま》に、金剛杖《こんごうづえ》を櫂《かい》にして、横に霧を漕《こ》ぐ如く、西へふは/\、くるりと廻つて、ふは/\と漂ひ去る。……
 唯《と》、仰いで見るうちに、数十人の番士《ばんし》、足軽《あしがる》の左右に平伏《ひれふ》す関の中を、二人何の苦もなく、うかうかと通り抜けた。
「お武家様、もし、お武家様。」
 ハツとしたやうに、此の時、刀の柄《つか》に手を掛けて、もの/\しく見返つた。が、汚《きたな》い屑屋に可厭《いや》な顔して、
「何だ。」
「お袂《たもと》に縋《すが》りませいでは、一足《ひとあし》も歩行《ある》かれませぬ。」
「ちよつ。参れ。」
「お武家様、お武家様。」
「黙つて参れよ。」
 小湧谷《こわくだに》、大地獄《おおじごく》の音を暗中《あんちゅう》に聞いた。
 目の前の路《みち》に、霧が横に広いのではない。するりと無紋《むもん》の幕が垂れて、ゆるく絞つた総《ふさ》の紫《むらさき》は、地《ち》を透《す》く内側の燈《ともしび》の影に、色も見えつつ、ほのかに人声《ひとごえ》が漏《も》れて聞えた。
 女の声である。
 
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