をして、活《い》きると思《おも》へば平氣《へいき》で可《よ》し、死《し》ぬと思《おも》や靜《しづか》に未來《みらい》を考《かんが》へて、念佛《ねんぶつ》の一《ひと》つも唱《とな》へたら何《ど》うぢや、何方《どつち》にした處《ところ》が、わい/\騷《さわ》ぐことはない。はて、見苦《みぐる》しいわい。
 然《しか》し私《わし》も出家《しゆつけ》の身《み》で、人《ひと》に心配《しんぱい》を懸《か》けては濟《す》むまい。可《よ》し、可《よ》し。」
 と渠《かれ》は獨《ひと》り頷《うなづ》きつゝ、從容《しようよう》として立上《たちあが》り、甲板《デツキ》の欄干《てすり》に凭《よ》りて、犇《ひしめ》き合《あ》へる乘客等《じようかくら》を顧《かへり》みて、
「いや、誰方《どなた》もお騷《さわ》ぎなさるな。もう斯《か》うなつちや神佛《かみほとけ》の信心《しんじん》では皆《みな》の衆《しう》に埒《らち》があきさうもないに依《よ》つて、唯《たゞ》私《わし》が居《ゐ》なければ大丈夫《だいぢやうぶ》だと、一生懸命《いつしやうけんめい》に信仰《しんかう》なさい、然《さ》うすれば屹度《きつと》助《たす》かる。宜《よろ》しいか/\。南無《なむ》、」
 と一聲《ひとこゑ》、高《たか》らかに題目《だいもく》を唱《とな》へも敢《あ》へず、法華僧《ほつけそう》は身《み》を躍《をど》らして海《うみ》に投《とう》ぜり。
「身投《みなげ》だ、助《たす》けろ。」
 船長《せんちやう》の命《めい》の下《もと》に、水夫《すいふ》は一躍《いちやく》して難《なん》に赴《おもむ》き、辛《から》うじて法華僧《ほつけそう》を救《すく》ひ得《え》たり。
 然《しか》りし後《のち》、此《こ》の(一人坊主《ひとりばうず》)は、前《さき》とは正反對《せいはんたい》の位置《ゐち》に立《た》ちて、乘合《のりあひ》をして却《かへ》りて我《われ》あるがために船《ふね》の安全《あんぜん》なるを確《たしか》めしめぬ。
 如何《いかん》となれば、乘客等《じようかくら》は爾《しか》く身《み》を殺《ころ》して仁《じん》を爲《な》さむとせし、此《この》大聖人《だいせいじん》の徳《とく》の宏大《くわうだい》なる、天《てん》は其《そ》の報酬《はうしう》として渠《かれ》に水難《すゐなん》を與《あた》ふべき理由《いはれ》のあらざるを斷《だん》じ、恁《かゝ》る聖僧《せいそう》と與《とも》にある者《もの》は、此《この》結縁《けちえん》に因《よ》りて、必《かなら》ず安全《あんぜん》なる航行《かうかう》をなし得《う》べしと信《しん》じたればなり。良《やゝ》時《とき》を經《へ》て乘客《じようかく》は、活佛《くわつぶつ》――今《いま》新《あら》たに然《し》か思《おも》へる――の周圍《しうゐ》に集《あつま》りて、一條《いちでう》の法話《ほふわ》を聞《き》かむことを希《こひねが》へり。漸《やうや》く健康《けんかう》を囘復《くわいふく》したる法華僧《ほつけそう》は、喜《よろこ》んで之《これ》を諾《だく》し、打咳《うちしはぶ》きつゝ語出《かたりいだ》しぬ。
「私《わし》は一體《いつたい》京都《きやうと》の者《もの》で、毎度《まいど》此《こ》の金澤《かなざは》から越中《ゑつちう》の方《はう》へ出懸《でか》けるが、一|度《ど》ある事《こと》は二|度《ど》とやら、船《ふね》で(一人坊主《ひとりばうず》)になつて、乘合《のりあひ》の衆《しう》に嫌《きら》はれるのは今度《こんど》がこれで二|度目《どめ》でござる。今《いま》から二三|年前《ねんまへ》のこと、其時《そのとき》は、船《ふね》の出懸《でが》けから暴風雨模樣《あれもやう》でな、風《かぜ》も吹《ふ》く、雨《あめ》も降《ふ》る。敦賀《つるが》の宿《やど》で逡巡《しりごみ》して、逗留《とうりう》した者《もの》が七|分《ぶ》あつて、乘《の》つたのはまあ三|分《ぶ》ぢやつた。私《わし》も其時分《そのじぶん》は果敢《はか》ない者《もの》で、然《さう》云《い》ふ天氣《てんき》に船《ふね》に乘《の》るのは、實《じつ》は二《に》の足《あし》の方《はう》であつたが。出家《しゆつけ》の身《み》で生命《いのち》を惜《をし》むかと、人《ひと》の思《おも》はくも恥《はづ》かしくて、怯氣々々《びく/\》もので乘込《のりこ》みましたぢや。さて段々《だん/\》船《ふね》の進《すゝ》むほど、風《かぜ》は荒《あら》くなる、波《なみ》は荒《あ》れる、船《ふね》は搖《ゆ》れる。其《その》又《また》搖《ゆ》れ方《かた》と謂《い》うたら一通《ひととほり》でなかつたので、吐《は》くやら、呻《うめ》くやら、大苦《おほくるし》みで正體《しやうたい》ない者《もの》が却《かへ》つて可羨《うらやま》しいくらゐ、と云《い》ふのは、氣《き》の確《たしか》なものほど、生命《いのち》が案《あん》じられるでな、船《ふね》が恁《か》うぐつと傾《かたむ》く度《たび》に、はツ/\と冷《つめた》い汗《あせ》が出《で》る。さてはや、念佛《ねんぶつ》、題目《だいもく》、大聲《おほごゑ》に鯨波《とき》の聲《こゑ》を揚《あ》げて唸《うな》つて居《ゐ》たが、やがて其《それ》も蚊《か》の鳴《な》くやうに弱《よわ》つてしまふ。取亂《とりみだ》さぬ者《もの》は一人《ひとり》もない。
 恁《かう》云《い》ふ私《わし》が矢張《やはり》その、おい/\泣《な》いた連中《れんぢう》でな、面目《めんぼく》もないこと。
 昔《むかし》彼《か》の文覺《もんがく》と云《い》ふ荒法師《あらほふし》は、佐渡《さど》へ流《なが》される船路《みち》で、暴風雨《あれ》に會《あ》つたが、船頭水夫共《せんどうかこども》が目《め》の色《いろ》を變《か》へて騷《さわ》ぐにも頓着《とんぢやく》なく、大《だい》の字《じ》なりに寢《ね》そべつて、雷《らい》の如《ごと》き高鼾《たかいびき》ぢや。
 すると船頭共《せんどうども》が、「恁※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》惡僧《あくそう》が乘《の》つて居《ゐ》るから龍神《りうじん》が祟《たゝ》るのに違《ちが》ひない、疾《はや》く海《うみ》の中《なか》へ投込《なげこ》んで、此方人等《こちとら》は助《たす》からう。」と寄《よ》つて集《たか》つて文覺《もんがく》を手籠《てごめ》にしようとする。其時《そのとき》荒坊主《あらばうず》岸破《がば》と起上《おきあが》り、舳《へさき》に突立《つゝた》ツて、はつたと睨《ね》め付《つ》け、「いかに龍神《りうじん》不禮《ぶれい》をすな、此《この》船《ふね》には文覺《もんがく》と云《い》ふ法華《ほつけ》の行者《ぎやうじや》が乘《の》つて居《ゐ》るぞ!」と大音《だいおん》に叱《しか》り付《つ》けたと謂《い》ふ。
 何《なん》と難有《ありがた》い信仰《しんかう》ではないか。強《つよ》い信仰《しんかう》を持《も》つて居《ゐ》る法師《ほふし》であつたから、到底《たうてい》龍神《りうじん》如《ごと》きがこの俺《おれ》を沈《しづ》めることは出來《でき》ない、波浪《はらう》不能沒《ふのうもつ》だ、と信《しん》じて疑《うたが》はぬぢやから、其處《そこ》でそれ自若《じじやく》として居《ゐ》られる。
 又《また》死《し》んでも極樂《ごくらく》へ確《たしか》に行《ゆ》かれる身《み》ぢやと固《かた》く信《しん》じて居《ゐ》る者《もの》は、恁《かう》云《い》ふ時《とき》には驚《おどろ》かぬ。
 まあ那樣事《そんなこと》は措《お》いて、其時《そのとき》船《ふね》の中《なか》で、些《ちつ》とも騷《さわ》がぬ、いやも頓《とん》と平氣《へいき》な人《ひと》が二人《ふたり》あつた。美《うつく》しい娘《むすめ》と可愛《かはい》らしい男《をとこ》の兒《こ》ぢや。※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、9−3]弟《きやうだい》と見《み》えてな、似《に》て居《ゐ》ました。
 最初《さいしよ》から二人《ふたり》對坐《さしむかひ》で、人交《ひとまぜ》もせぬで何《なに》か睦《むつ》まじさうに話《はなし》をして居《ゐ》たが、皆《みんな》がわい/\言《い》つて立騷《たちさわ》ぐのを見《み》ようともせず、まるで別世界《べつせかい》に居《ゐ》るといふ顏色《かほつき》での。但《たゞ》金石間近《かないはまぢか》になつた時《とき》、甲板《かんぱん》の方《はう》に何《なに》か知《し》らん恐《おそろ》しい音《おと》がして、皆《みんな》が、きやツ!と叫《さけ》んだ時《とき》ばかり、少《すこ》し顏色《かほいろ》を變《か》へたぢや。別《べつ》に仔細《しさい》もなかつたと見《み》えて、其内《そのうち》靜《しづ》まつたが、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、9−7]弟《きやうだい》は立《た》ちさうにもせず、まことに常《つね》の通《とほ》りに、澄《すま》して居《ゐ》たに因《よ》つて、餘《あま》り不思議《ふしぎ》に思《おも》うたから、其日《そのひ》難《なん》なく港《みなと》に着《つ》いて、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、9−8]弟《きやうだい》が建場《たてば》の茶屋《ちやや》に腕車《くるま》を雇《やと》ひながら休《やす》んで居《ゐ》る處《ところ》へ行《い》つて、言葉《ことば》を懸《か》けて見《み》ようとしたが、其《その》子達《こだち》の氣高《けだか》さ!貴《たふと》さ! 思《おも》はず此《こ》の天窓《あたま》が下《さが》つたぢや。
 そこで土間《どま》へ手《て》を支《つか》へて、「何《ど》ういふ御修行《ごしゆぎやう》が積《つ》んで、あのやうに生死《しやうじ》の場合《ばあひ》に平氣《へいき》でお在《いで》なされた」と、恐入《おそれい》つて尋《たづ》ねました。
 すると答《こたへ》には、「否《いゝえ》、私等《わたくしども》は東京《とうきやう》へ修行《しゆぎやう》に參《まゐ》つて居《ゐ》るものでござるが、今度《こんど》國許《くにもと》に父《ちゝ》が急病《きふびやう》と申《まを》す電報《でんぱう》が懸《かゝ》つて、其《それ》で歸《かへ》るのでござるが、急《いそ》いで見舞《みま》はんければなりませんので、止《や》むを得《え》ず船《ふね》にしました。しかし父樣《おとつさん》には私達《わたしたち》二人《ふたり》の外《ほか》に、子《こ》と云《い》ふものはござらぬ、二人《ふたり》にもしもの事《こと》がありますれば、家《いへ》は絶《た》えてしまひまする。父樣《おとつさん》は善《よ》いお方《かた》で、其《それ》きり跡《あと》の斷《た》えるやうな惡《わる》い事《こと》爲置《しお》かれた方《かた》ではありませんから、私《わたくし》どもは甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》危《あぶな》い恐《こは》い目《め》に出會《であ》ひましても、安心《あんしん》でございます。それに私《わたくし》が危《あやふ》ければ、此《こ》の弟《おとうと》が助《たす》けてくれます、私《わたくし》もまた弟《おとうと》一人《ひとり》は殺《ころ》しません。其《それ》で二人《ふたり》とも大丈夫《だいぢやうぶ》と思《おも》ひますから。少《すこ》しも恐《こは》くはござらぬ。」と恁《か》う云《い》ふぢや。私《わし》にはこれまで讀《よ》んだ御經《おきやう》より、餘程《よつぽど》難有《ありがた》くて涙《なみだ》が出《で》た。まことに善知識《ぜんちしき》、そのお庇《かげ》で大《おほ》きに悟《さと》りました。
 乘合《のりあひ》の衆《しう》も何《なに》がなしに、自分《じぶん》で自分《じぶん》を信仰《しんかう》なさい。船《ふね》が大丈夫《だいぢやうぶ》と信《しん》じたら乘《の》つて出《で》る、出《で》た上《うへ》では甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》颶風《はやて》が來《こ》ようが、船《ふね》が沈《しづ》まうが、體《からだ》が溺《おぼ》れようが、
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