りあひら》がいかに怒《いか》りしか、いかに罵《のゝし》りしかを、渠《かれ》は眠《ねむ》りて知《し》らざりしなり。

        下

 恁《かく》て、數時間《すうじかん》を經《へ》たりし後《のち》、身邊《あたり》の人聲《ひとごゑ》の騷《さわ》がしきに、旅僧《たびそう》は夢《ゆめ》破《やぶ》られて、唯《と》見《み》れば變《かは》り易《やす》き秋《あき》の空《そら》の、何時《いつ》しか一面《いちめん》掻曇《かきくも》りて、暗澹《あんたん》たる雲《くも》の形《かたち》の、凄《すさま》じき飛天夜叉《ひてんやしや》の如《ごと》きが縱横無盡《じうわうむじん》に馳《は》せ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《まは》るは、暴風雨《あらし》の軍《いくさ》を催《もよほ》すならむ、其《その》一團《いちだん》は早《はや》く既《すで》に沿岸《えんがん》の山《やま》の頂《いたゞき》に屯《たむろ》せり。
 風《かぜ》一陣《ひとしきり》吹《ふ》き出《い》でて、船《ふね》の動搖《どうえう》良《やゝ》激《はげ》しくなりぬ。恁《かく》の如《ごと》き風雲《ふううん》は、加能丸《かのうまる》既往《きわう》の航海史上《かうかいしじやう》珍《めづら》しからぬ現象《げんしやう》なれども、(一人坊主《ひとりばうず》)の前兆《ぜんてう》に因《よ》りて臆測《おくそく》せる乘客《じやうかく》は、恁《かゝ》る現象《げんしやう》を以《もつ》て推《すゐ》すベき、風雨《ふうう》の程度《ていど》よりも、寧《むし》ろ幾十倍《いくじふばい》の恐《おそれ》を抱《いだ》きて、渠《かれ》さへあらずば無事《ぶじ》なるべきにと、各々《おの/\》我《わが》命《いのち》を惜《をし》む餘《あまり》に、其《その》死《し》を欲《ほつ》するに至《いた》るまで、怨恨《うらみ》骨髓《こつずゐ》に徹《てつ》して、此《こ》の法華僧《ほつけそう》を憎《にく》み合《あ》へり。
 不幸《ふかう》の僧《そう》はつく/″\此《この》状《さま》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまは》し、慨然《がいぜん》として、
「あゝ、末世《まつせ》だ、情《なさけ》ない。皆《みんな》が皆《みんな》で、恁《か》う又《また》信仰《しんかう》の弱《よわ》いといふは何《ど》うしたものぢやな。此處《こゝ》で死《し》ぬものか、死《し》なないものか、自分《じぶん》で判斷《はんだん》
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