全身《ぜんしん》黒《くろ》く痩《や》せて、鼻《はな》隆《たか》く、眉《まゆ》濃《こ》く、耳許《みゝもと》より頤《おとがひ》、頤《おとがひ》より鼻《はな》の下《した》まで、短《みじか》き髭《ひげ》は斑《まだら》に生《お》ひたり。懸《か》けたる袈裟《けさ》の色《いろ》は褪《あ》せて、法衣《ころも》の袖《そで》も破《やぶ》れたるが、服裝《いでたち》を見《み》れば法華宗《ほつけしう》なり。甲板《デツキ》の片隅《かたすみ》に寂寞《じやくまく》として、死灰《しくわい》の如《ごと》く趺坐《ふざ》せり。
 加越地方《かゑつちはう》は殊《こと》に門徒眞宗《もんとしんしう》、歸依者《きえしや》多《おほ》ければ、船中《せんちう》の客《きやく》も又《また》門徒《もんと》七八|分《ぶ》を占《し》めたるにぞ、然《さ》らぬだに忌《いま》はしき此《こ》の「一人坊主《ひとりばうず》」の、別《わ》けて氷炭《ひようたん》相容《あひい》れざる宗敵《しうてき》なりと思《おも》ふより、乞食《こつじき》の如《ごと》き法華僧《ほつけそう》は、恰《あたか》も加能丸《かのうまる》の滅亡《めつばう》を宣告《せんこく》せむとて、惡魔《あくま》の遣《つか》はしたる使者《ししや》としも見《み》えたりけむ、乘客等《じようかくら》は二|人《にん》三|人《にん》、彼方《あなた》此方《こなた》に額《ひたひ》を鳩《あつ》めて呶々《どゞ》しつゝ、時々《とき/″\》法華僧《ほつけそう》を流眄《しりめ》に懸《か》けたり。
 旅僧《たびそう》は冷々然《れい/\ぜん》として、聞《きこ》えよがしに風説《うはさ》して惡樣《あしざま》に罵《のゝし》る聲《こゑ》を耳《みゝ》にも入《い》れざりき。
 せめては四邊《あたり》に心《こゝろ》を置《お》きて、肩身《かたみ》を狹《せま》くすくみ居《ゐ》たらば、聊《いさゝ》か恕《じよ》する方《はう》もあらむ、遠慮《ゑんりよ》もなく席《せき》を占《し》めて、落着《おちつ》き澄《すま》したるが憎《にく》しとて、乘客《じようかく》の一|人《にん》は衝《つ》と其《そ》の前《まへ》に進《すゝ》みて、
「御出家《ごしゆつけ》、今日《けふ》の御天氣《おてんき》は如何《いかゞ》でせうな。」
 旅僧《たびそう》は半眼《はんがん》に閉《ふさ》ぎたる眼《め》を開《ひら》きて、
「さればさ、先刻《さつき》から降《ふ》らぬから、お天氣《てん
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