やう》が積《つ》んで、あのやうに生死《しやうじ》の場合《ばあひ》に平氣《へいき》でお在《いで》なされた」と、恐入《おそれい》つて尋《たづ》ねました。
 すると答《こたへ》には、「否《いゝえ》、私等《わたくしども》は東京《とうきやう》へ修行《しゆぎやう》に參《まゐ》つて居《ゐ》るものでござるが、今度《こんど》國許《くにもと》に父《ちゝ》が急病《きふびやう》と申《まを》す電報《でんぱう》が懸《かゝ》つて、其《それ》で歸《かへ》るのでござるが、急《いそ》いで見舞《みま》はんければなりませんので、止《や》むを得《え》ず船《ふね》にしました。しかし父樣《おとつさん》には私達《わたしたち》二人《ふたり》の外《ほか》に、子《こ》と云《い》ふものはござらぬ、二人《ふたり》にもしもの事《こと》がありますれば、家《いへ》は絶《た》えてしまひまする。父樣《おとつさん》は善《よ》いお方《かた》で、其《それ》きり跡《あと》の斷《た》えるやうな惡《わる》い事《こと》爲置《しお》かれた方《かた》ではありませんから、私《わたくし》どもは甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》危《あぶな》い恐《こは》い目《め》に出會《であ》ひましても、安心《あんしん》でございます。それに私《わたくし》が危《あやふ》ければ、此《こ》の弟《おとうと》が助《たす》けてくれます、私《わたくし》もまた弟《おとうと》一人《ひとり》は殺《ころ》しません。其《それ》で二人《ふたり》とも大丈夫《だいぢやうぶ》と思《おも》ひますから。少《すこ》しも恐《こは》くはござらぬ。」と恁《か》う云《い》ふぢや。私《わし》にはこれまで讀《よ》んだ御經《おきやう》より、餘程《よつぽど》難有《ありがた》くて涙《なみだ》が出《で》た。まことに善知識《ぜんちしき》、そのお庇《かげ》で大《おほ》きに悟《さと》りました。
 乘合《のりあひ》の衆《しう》も何《なに》がなしに、自分《じぶん》で自分《じぶん》を信仰《しんかう》なさい。船《ふね》が大丈夫《だいぢやうぶ》と信《しん》じたら乘《の》つて出《で》る、出《で》た上《うへ》では甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》颶風《はやて》が來《こ》ようが、船《ふね》が沈《しづ》まうが、體《からだ》が溺《おぼ》れようが、
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