なものほど、生命《いのち》が案《あん》じられるでな、船《ふね》が恁《か》うぐつと傾《かたむ》く度《たび》に、はツ/\と冷《つめた》い汗《あせ》が出《で》る。さてはや、念佛《ねんぶつ》、題目《だいもく》、大聲《おほごゑ》に鯨波《とき》の聲《こゑ》を揚《あ》げて唸《うな》つて居《ゐ》たが、やがて其《それ》も蚊《か》の鳴《な》くやうに弱《よわ》つてしまふ。取亂《とりみだ》さぬ者《もの》は一人《ひとり》もない。
恁《かう》云《い》ふ私《わし》が矢張《やはり》その、おい/\泣《な》いた連中《れんぢう》でな、面目《めんぼく》もないこと。
昔《むかし》彼《か》の文覺《もんがく》と云《い》ふ荒法師《あらほふし》は、佐渡《さど》へ流《なが》される船路《みち》で、暴風雨《あれ》に會《あ》つたが、船頭水夫共《せんどうかこども》が目《め》の色《いろ》を變《か》へて騷《さわ》ぐにも頓着《とんぢやく》なく、大《だい》の字《じ》なりに寢《ね》そべつて、雷《らい》の如《ごと》き高鼾《たかいびき》ぢや。
すると船頭共《せんどうども》が、「恁※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》惡僧《あくそう》が乘《の》つて居《ゐ》るから龍神《りうじん》が祟《たゝ》るのに違《ちが》ひない、疾《はや》く海《うみ》の中《なか》へ投込《なげこ》んで、此方人等《こちとら》は助《たす》からう。」と寄《よ》つて集《たか》つて文覺《もんがく》を手籠《てごめ》にしようとする。其時《そのとき》荒坊主《あらばうず》岸破《がば》と起上《おきあが》り、舳《へさき》に突立《つゝた》ツて、はつたと睨《ね》め付《つ》け、「いかに龍神《りうじん》不禮《ぶれい》をすな、此《この》船《ふね》には文覺《もんがく》と云《い》ふ法華《ほつけ》の行者《ぎやうじや》が乘《の》つて居《ゐ》るぞ!」と大音《だいおん》に叱《しか》り付《つ》けたと謂《い》ふ。
何《なん》と難有《ありがた》い信仰《しんかう》ではないか。強《つよ》い信仰《しんかう》を持《も》つて居《ゐ》る法師《ほふし》であつたから、到底《たうてい》龍神《りうじん》如《ごと》きがこの俺《おれ》を沈《しづ》めることは出來《でき》ない、波浪《はらう》不能沒《ふのうもつ》だ、と信《しん》じて疑《うたが》はぬぢやから、其處《そこ》でそれ自若《じじやく》として
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