下さいましな。」
「そりゃ、いうまでもありません。」
「そしてまあ、どんな処《ところ》にございましたえ。」
「それこそ夢のようだと、いうのだろうと思います。路《みち》すがら、そうやって、影のような障礙《しょうがい》に出遇って、今にも娘が血に染まって、私は取って殺さりょうと、幾度《いくたび》思ったか解《わか》りませんが、黄昏《たそがれ》と思う時、その美女ヶ原というのでしょう。凡《およそ》八|町《ちょう》四方ばかりの間、扇の地紙《じがみ》のような形に、空にも下にも充満《いっぱい》の花です。
 そのまま二人で跪《ひざまず》いて、娘がするように手を合せておりました。月が出ると、余り容易《たやす》い。つい目の前の芍薬《しゃくやく》の花の中に花片《はなびら》の形が変って、真紅《まっか》なのが唯《ただ》一輪。
 採って前髪《まえがみ》に押頂《おしいただ》いた時、私の頭《つむり》を撫《な》でながら、余《あまり》の嬉《うれ》しさ、娘ははらはらと落涙《らくるい》して、もう死ぬまで、この心を忘れてはなりませんと、私の頭《つむり》に挿《さ》させようとしましたけれども、髪は結んでないのですから、そこで娘が、自分の黒髪に挿しました。人の簪《かんざし》の花になっても、月影に色は真紅《しんく》だったです。
 母様《おっかさん》の御大病《ごたいびょう》、一刻も早くと、直《すぐ》に、美女ヶ原を後《あと》にしました
 引返す時は、苦《く》もなく、すらすらと下りられて、早や暁《あかつき》の鶏《とり》の声。
 嬉《うれ》しや人里も近いと思う、月が落ちて明方《あけがた》の闇を、向うから、洶々《どやどや》と四、五人|連《づれ》、松明《たいまつ》を挙《あ》げて近寄った。人可懐《ひとなつかし》くいそいそ寄ると、いずれも屈竟《くっきょう》な荒漢《あらおのこ》で。
 中《うち》に一人、見た事のある顔と、思い出した。黒婆《くろばば》が家に馬を繋いだ馬士《まご》で、その馬士、二人の姿を見ると、遁《に》がすなと突然《いきなり》、私を小脇に引抱《ひっかか》える、残った奴が三人四人で、ええ! という娘を手取足取《てとりあしとり》。
 何処《どこ》をどう、どの方角をどのくらい駈けたかまるで夢中です。
 やがて気が付くと、娘と二人で、大《おおき》な座敷の片隅に、馬士《まご》交《まじ》り七、八人に取巻かれて坐っていました。
 何百年か
前へ 次へ
全30ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング