、膝枕《ひざまくら》をさせて、始終|集《たか》って来る馬蠅《うまばえ》を、払ってくれたのを、現に苦《くるし》みながら覚えています。車に乗った天女に抱かれて、多人数《たにんず》に囲まれて通《かよ》った時、庚申堂《こうしんどう》の傍《わき》に榛《はん》の木で、半《なか》ば姿を秘《かく》して、群集《ぐんじゅ》を放れてすっくと立った、脊《せい》の高い親仁《おやじ》があって、熟《じっ》と私どもを見ていたのが、確《たしか》に衣服を脱がせた奴と見たけれども、小児《こども》はまだ口が利けないほど容体《ようだい》が悪かったんですな。
 私はただその気高《けだか》い艶麗《あでやか》な人を、今でも神か仏かと、思うけれど、後《あと》で考えると、先ずこうだろうと、思われるのは、姥《うば》の娘で、清水谷《しみずだに》の温泉へ、奉公《ほうこう》に出ていたのを、祭に就《つ》いて、村の若い者が借りて来て八ヶ|村《そん》九ヶ|村《そん》をこれ見よと喚《わめ》いて歩行《ある》いたものでしょう。娘はふとすると、湯女《ゆな》などであったかも知れないです。」

       五

「それからその人の部屋とも思われる、綺麗《きれい》な小座敷《こざしき》へ寝かされて、目の覚める時、物の欲しい時、咽《のど》の乾く時、涙の出る時、何時《いつ》もその娘が顔を見せない事はなかったです。
 自分でも、もう、病気が復《なお》ったと思った晩、手を曳いて、てらてら光る長い廊下《ろうか》を、湯殿《ゆどの》へ連れて行って、一所《いっしょ》に透通《すきとお》るような温泉《いでゆ》を浴びて、岩を平《たいら》にした湯槽《ゆぶね》の傍《わき》で、すっかり体を流してから、櫛《くし》を抜いて、私の髪を柔《やわらか》く梳《す》いてくれる二櫛三櫛《ふたくしみくし》、やがてその櫛を湯殿の岩の上から、廊下の灯《あかり》に透《すか》して、気高い横顔で、熟《じっ》と見て、ああ好《い》い事、美しい髪も抜けず、汚《きたな》い虫も付かなかったと言いました。私も気がさして一所《いっしょ》に櫛を瞶《みつ》めたが、自分の膚《はだ》も、人の体も、その時くらい清く、白く美しいのは見た事がない。
 私は新しい着物を着せられ、娘は桃色の扱帯《しごき》のまま、また手を曳いて、今度は裏梯子《うらばしご》から二階へ上《あが》った。その段を昇り切ると、取着《とッつき》に一室《ひとま》
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