の、炉《ろ》の縁《ふち》に、膝に手を置いて蹲《うずくま》っていた、十《とお》ばかりも年上らしいお媼《ばあ》さん。
 見兼ねたか、縁側《えんがわ》から摺《ず》って下《お》り、ごつごつ転がった石塊《いしころ》を跨《また》いで、藤棚を潜《くぐ》って顔を出したが、柔和《にゅうわ》な面相《おもざし》、色が白い。
 小児衆《こどもしゅう》小児衆、私《わし》が許《とこ》へござれ、と言う。疾《はや》く白媼《しろうば》が家《うち》へ行《ゆ》かっしゃい、借《かり》がなくば、此処《ここ》へ馬を繋ぐではないと、馬士《まご》は腰の胴乱《どうらん》に煙管《きせる》をぐっと突込《つッこ》んだ。
 そこで裸体《はだか》で手を曳《ひ》かれて、土間の隅を抜けて、隣家《となり》へ連込《つれこ》まれる時分には、鳶《とび》が鳴いて、遠くで大勢の人声、祭礼《まつり》の太鼓《たいこ》が聞えました。」
 高坂は打案《うちあん》じ、
「渡場《わたしば》からこちらは、一生私が忘れない処《ところ》なんだね、で今度来る時も、前《さき》の世の旅を二度する気で、松一本、橋一ツも心をつけて見たんだけれども、それらしい家もなく、柳の樹も分らない。それに今じゃ、三里ばかり向うを汽車が素通りにして行《ゆ》くようになったから、人通《ひとどおり》もなし。大方、その馬士《まご》も、老人《としより》も、もうこの世の者じゃあるまいと思う、私は何だかその人たちの、あのまま影を埋《うず》めた、丁《ちょう》どその上を、姉《ねえ》さん。」
 花売《はなうり》は後姿《うしろすがた》のまま引留《ひきと》められたようになって停《とま》った。
「貴女《あなた》と二人で歩行《ある》いているように思うですがね。」
「それからどう遊ばした、まあお話しなさいまし。」
 と静《しずか》に前へ。高坂も徐《おもむ》ろに、
「娘が来て世話をするまで、私《わし》には衣服《きもの》を着せる才覚もない。暑い時節じゃで、何ともなかろが、さぞ餒《ひもじ》かろうで、これでも食わっしゃれって。
 囲炉裡《いろり》の灰の中に、ぶすぶすと燻《くすぶ》っていたのを、抜き出してくれたのは、串《くし》に刺した茄子《なす》の焼いたんで。
 ぶくぶく樺色《かばいろ》に膨《ふく》れて、湯気《ゆげ》が立っていたです。
 生豆腐《なまどうふ》の手掴《てづかみ》に比べては、勿体《もったい》ない御料理と思った。
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