んだ。これが豆腐《とうふ》なら資本《もとで》入《い》らずじゃ、それともこのまま熨斗《のし》を附けて、鎮守様《ちんじゅさま》へ納《おさ》めさっしゃるかと、馬士《まご》は掌《てのひら》で吸殻《すいがら》をころころ遣《や》る。
主《ぬし》さ、どうした、と婆さんが聞くんですが、四辺《あたり》をきょときょと※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》すばかり。
何処《どこ》から出た乞食《こじき》だよ、とまた酷《ひど》いことを言います。尤《もっと》も裸体《はだか》が渋紙《しぶかみ》に包まれていたんじゃ、氏素性《うじすじょう》あろうとは思わぬはず。
衣物《きもの》を脱がせた親仁《おやじ》はと、唯《ただ》悔《くや》しく、来た方を眺めると、脊《せ》が小さいから馬の腹を透《す》かして雨上りの松並木、青田《あおだ》の縁《へり》の用水に、白鷺《しらさぎ》の遠く飛ぶまで、畷《なわて》がずっと見渡されて、西日がほんのり紅《あか》いのに、急な大雨で往来《ゆきき》もばったり、その親仁らしい姿も見えぬ。
余《あまり》の事にしくしく泣き出すと、こりゃ餒《ひもじゅ》うて口も利けぬな、商売品《あきないもの》で銭《ぜに》を噛ませるようじゃけれど、一つ振舞《ふるも》うて遣《や》ろかいと、汚《きたな》い土間に縁台《えんだい》を並べた、狭ッくるしい暗い隅《すみ》の、苔《こけ》の生えた桶《おけ》の中から、豆腐《とうふ》を半挺《はんちょう》、皺手《しわで》に白く積んで、そりゃそりゃと、頬辺《ほっぺた》の処《ところ》へ突出《つきだ》してくれたですが、どうしてこれが食べられますか。
そのくせ腹は干《ほ》されたように空いていましたが、胸一杯になって、頭《かぶり》を掉《ふ》ると、はて食好《しょくごのみ》をする犬の、と呟《つぶや》いて、ぶくりとまた水へ落して、これゃ、慈悲を享《う》けぬ餓鬼《がき》め、出て失《う》せと、私の胸へ突懸《つッか》けた皺だらけの手の黒さ、顔も漆《うるし》で固めたよう。
黒婆《くろばば》どの、情《なさけ》ない事せまいと、名もなるほど黒婆というのか、馬士《まご》が中へ割って入《い》ると、貸《かし》を返せ、この人足めと怒鳴《どな》ったです。するとその豆腐の桶のある後《うしろ》が、蜘蛛《くも》の巣だらけの藤棚で、これを地境《じざかい》にして壁も垣《かき》もない隣家《となり》の小家《こいえ》
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