いやく》の廣告《くわうこく》だ、そんなものに、見愡《みと》れるな。おつと、また其《その》古道具屋《ふるだうぐや》は高《たか》さうだぜ、お辭儀《じぎ》をされると六《むづ》ヶしいぞ。いや、何《なに》か申《まを》す内《うち》に、ハヤこれは笹《さゝ》の雪《ゆき》に着《つ》いて候《さふらふ》が、三時《さんじ》すぎにて店《みせ》はしまひ、交番《かうばん》の角《かど》について曲《まが》る。この流《ながれ》に人《ひと》集《つど》ひ葱《ねぎ》を洗《あら》へり。葱《ねぎ》の香《か》の小川《をがは》に流《なが》れ、とばかりにて句《く》にはならざりしが、あゝ、もうちつとで思《おも》ふこといはぬは腹《はら》ふくるゝ業《わざ》よといへば、いま一足《ひとあし》早《はや》かりせば、笹《さゝ》の雪《ゆき》が賣切《うりきれ》にて腹《はら》ふくれぬ事《こと》よといふ。さあ、じぶくらずに、歩行《ある》いた/\。
 一寸《ちよつと》伺《うかゞ》ひます。此路《このみち》を眞直《まつすぐ》に參《まゐ》りますと、左樣《さやう》三河島《みかはしま》と、路《みち》を行《ゆ》く人《ひと》に教《をし》へられて、おや/\と、引返《ひきかへ》し、白壁《しらかべ》の見《み》ゆる土藏《どざう》をあてに他《た》の畦《あぜ》を突切《つツき》るに、ちよろ/\水《みづ》のある中《なか》に紫《むらさき》の花《はな》の咲《さ》いたる草《くさ》あり。綺麗《きれい》といひて見返勝《みかへりがち》、のんきにうしろ歩行《あるき》をすれば、得《え》ならぬ臭《にほひ》、細《ほそ》き道《みち》を、肥料室《こやしむろ》の挾撃《はさみうち》なり。目《め》を眠《ねむ》つて吶喊《とつかん》す。既《すで》にして三島神社《みしまじんじや》の角《かど》なり。
 亡《なく》なつた一葉女史《いちえふぢよし》が、たけくらべといふ本《ほん》に、狂氣街道《きちがひかいだう》といつたのは是《これ》から前《さき》ださうだ、うつかりするな、恐《おそろ》しいよ、と固《かた》く北八《きたはち》を警戒《けいかい》す。
 やあ汚《きたね》え溝《どぶ》だ。恐《おそろ》しい石灰《いしばひ》だ。酷《ひど》い道《みち》だ。三階《さんがい》があるぜ、浴衣《ゆかた》ばかしの土用干《どようぼし》か、夜具《やぐ》の裏《うら》が眞赤《まつか》な、何《なん》だ棧橋《さんばし》が突立《つツた》つてら。叱《しつ》! 默《だま》つて/\と、目《め》くばせして、衣紋坂《えもんざか》より土手《どて》に出《い》でしが、幸《さいは》ひ神田《かんだ》の伯父《をぢ》に逢《あ》はず、客待《きやくまち》の車《くるま》と、烈《はげ》しい人通《ひとどほり》の眞晝間《まつぴるま》、露店《ほしみせ》の白《しろ》い西瓜《すゐくわ》、埃《ほこり》だらけの金鍔燒《きんつばやき》、おでんの屋臺《やたい》の中《なか》を拔《ぬ》けて柳《やなぎ》の下《した》をさつ/\と行《ゆ》く。實《じつ》は土手《どて》の道哲《だうてつ》に結縁《けちえん》して艷福《えんぷく》を祈《いの》らばやと存《ぞん》ぜしが、まともに西日《にしび》を受《う》けたれば、顏《かほ》がほてつて我慢《がまん》ならず、土手《どて》を行《ゆ》くこと纔《わづか》にして、日蔭《ひかげ》の田町《たまち》へ遁《に》げて下《お》りて、さあ、よし。北八《きたはち》大丈夫《だいぢやうぶ》だ、と立直《たちなほ》つて悠然《いうぜん》となる。此邊《このあたり》小《こ》ぢんまりとしたる商賣《あきなひや》の軒《のき》ならび、しもたやと見《み》るは、産婆《さんば》、人相見《にんさうみ》、お手紙《てがみ》したゝめ處《どころ》なり。一軒《いつけん》、煮染屋《にしめや》の前《まへ》に立《た》ちて、買物《かひもの》をして居《ゐ》た中年増《ちうどしま》の大丸髷《おほまるまげ》、紙《かみ》あまた積《つ》んだる腕車《くるま》を推《お》して、小僧《こぞう》三人《さんにん》向《むか》うより來懸《きかゝ》りしが、私語《しご》して曰《いは》く、見《み》ねえ、年明《ねんあけ》だと。
 路《みち》に太郎稻荷《たらういなり》あり、奉納《ほうなふ》の手拭《てぬぐひ》堂《だう》を蔽《おほ》ふ、小《ちさ》き鳥居《とりゐ》夥多《おびたゞ》し。此處《こゝ》彼處《かしこ》露地《ろぢ》の日《ひ》あたりに手習草紙《てならひざうし》を干《ほ》したるが到《いた》る處《ところ》に見《み》ゆ、最《いと》もしをらし。それより待乳山《まつちやま》の聖天《しやうでん》に詣《まう》づ。
 本堂《ほんだう》に額《ぬかづ》き果《は》てて、衝《つ》と立《た》ちて階《きざはし》の方《かた》に歩《あゆ》み出《い》でたるは、年紀《とし》はやう/\二十《はたち》ばかりと覺《おぼ》しき美人《びじん》、眉《まゆ》を拂《はら》ひ、鐵漿《かね》をつけたり。前垂《
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