にようばう》奧《おく》より出《い》で、坐《ざ》して慇懃《いんぎん》に挨拶《あいさつ》する。南無三《なむさん》聞《きこ》えたかとぎよつとする。爰《こゝ》に於《おい》てか北八《きたはち》大膽《だいたん》に、おかみさん彼《あ》の茶棚《ちやだな》はいくら。皆《みな》寒竹《かんちく》でございます、はい、お品《しな》が宜《よろ》しうございます、五圓六十錢《ごゑんろくじつせん》に願《ねが》ひたう存《ぞん》じます。兩人《りやうにん》顏《かほ》を見合《みあは》せて思入《おもひいれ》あり。北八《きたはち》心得《こゝろえ》たる顏《かほ》はすれども、さすがにどぎまぎして言《い》はむと欲《ほつ》する處《ところ》を知《し》らず、おかみさん歸《かへり》にするよ。唯々《はい/\》。お邪魔《じやま》でしたと兄《にい》さんは旨《うま》いものなり。虎口《ここう》を免《のが》れたる顏色《かほつき》の、何《ど》うだ、北八《きたはち》恐入《おそれい》つたか。餘計《よけい》な口《くち》を利《き》くもんぢやないよ。
思《おも》ひ懸《が》けず又《また》露地《ろぢ》の口《くち》に、抱餘《かゝへあま》る松《まつ》の大木《たいぼく》を筒切《つゝぎり》にせしよと思《おも》ふ、張子《はりこ》の恐《おそろ》しき腕《かひな》一本《いつぽん》、荷車《にぐるま》に積置《つみお》いたり。追《おつ》て、大江山《おほえやま》はこれでござい、入《い》らはい/\と言《い》ふなるべし。
笠森稻荷《かさもりいなり》のあたりを通《とほ》る。路傍《みちばた》のとある駄菓子屋《だぐわしや》の奧《おく》より、中形《ちうがた》の浴衣《ゆかた》に繻子《しゆす》の帶《おび》だらしなく、島田《しまだ》、襟白粉《えりおしろい》、襷《たすき》がけなるが、緋褌《ひこん》を蹴返《けかへ》し、ばた/\と駈《か》けて出《い》で、一寸《ちよつと》、煮豆屋《にまめや》さん/\。手《て》には小皿《こざら》を持《も》ちたり。四五軒《しごけん》行過《ゆきす》ぎたる威勢《ゐせい》の善《よ》き煮豆屋《にまめや》、振返《ふりかへ》りて、よう!と言《い》ふ。
そら又《また》化性《けしやう》のものだと、急足《いそぎあし》に谷中《やなか》に着《つ》く。いつも變《かは》らぬ景色《けしき》ながら、腕《うで》と島田《しまだ》におびえし擧句《あげく》の、心細《こゝろぼそ》さいはむ方《かた》なし。
森《もり》の下《した》の徑《こみち》を行《ゆ》けば、土《つち》濡《ぬ》れ、落葉《おちば》濕《しめ》れり。白張《しらはり》の提灯《ちやうちん》に、薄《うす》き日影《ひかげ》さすも物淋《ものさび》し。苔《こけ》蒸《む》し、樒《しきみ》枯《か》れたる墓《はか》に、門《もん》のみいかめしきもはかなしや。印《しるし》の石《いし》も青《あを》きあり、白《しろ》きあり、質《しつ》滑《なめらか》にして斑《ふ》のあるあり。あるが中《なか》に神婢《しんぴ》と書《か》いたるなにがしの女《ぢよ》が耶蘇教徒《やそけうと》の十字形《じふじがた》の塚《つか》は、法《のり》の路《みち》に迷《まよ》ひやせむ、異國《いこく》の人《ひと》の、友《とも》なきかと哀《あはれ》深《ふか》し。
竹《たけ》の埒《らち》結《ゆ》ひたる中《なか》に、三四人《さんよにん》土《つち》をほり居《ゐ》るあたりにて、路《みち》も分《わか》らずなりしが、洋服《やうふく》着《き》たる坊《ばう》ちやん二人《ふたり》、學校《がくかう》の戻《もどり》と見《み》ゆるがつか/\と通《とほ》るに頼母《たのも》しくなりて、後《あと》をつけ、やがて木《こ》の間《ま》に立《た》つ湯氣《ゆげ》を見《み》れば掛茶屋《かけぢやや》なりけり。
休《やす》ましておくれ、と腰《こし》をかけて一息《ひといき》つく。大分《だいぶ》お暖《あつたか》でございますと、婆《ばゞ》は銅《あかゞね》の大藥罐《おほやくわん》の茶《ちや》をくれる。床几《しやうぎ》の下《した》に俵《たはら》を敷《し》けるに、犬《いぬ》の子《こ》一匹《いつぴき》、其日《そのひ》の朝《あさ》より目《め》の見《み》ゆるものの由《よし》、漸《やつ》と食《しよく》づきましたとて、老年《としより》の餘念《よねん》もなげなり。折《をり》から子《こ》を背《せな》に、御新造《ごしんぞ》一人《いちにん》、片手《かたて》に蝙蝠傘《かうもりがさ》をさして、片手《かたて》に風車《かざぐるま》をまはして見《み》せながら、此《こ》の前《まへ》を通《とほ》り行《ゆ》きぬ。あすこが踏切《ふみきり》だ、徐々《そろ/\》出懸《でか》けようと、茶店《ちやてん》を辭《じ》す。
何《ど》うだ北八《きたはち》、線路《せんろ》の傍《わき》の彼《あ》の森《もり》が鶯花園《あうくわゑん》だよ、畫《ゑ》に描《か》いた天女《てんによ》は賣藥《ば
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