ので寝苦しいか、変に二人とも寝そびれて、踏脱《ふみぬ》ぐ、泣き出す、着せかける、賺《すか》す。で、女房は一夜まんじりともせず、烏《からす》の声を聞いたさうである。
 然《さ》まで案ずる事はあるまい。交際《つれあい》のありがちな稼業の事、途中で友だちに誘はれて、新宿あたりへぐれたのだ、と然《そ》う思へば済むのであるから。
 言ふまでもなく、宵のうちは、いつもの釣りだと察して居た。内から棹なんぞ……鈎《はり》も糸も忍ばしては出なかつたが――それは女房が頻《しきり》に殺生を留める処から、つい面倒さに、近所の車屋、床屋などに預けて置いて、そこから内證で支度して、道具を持つて出掛ける事も、女房が薄々知つて居たのである。
 処が、一夜あけて、昼に成つても帰らない。不断そんなしだらでない岩さんだけに、女房は人一倍心配し出した。
 さあ、気に成ると心配は胸へ滝の落ちるやうで、――帯《おび》引占《ひきし》めて夫の……といふ急《せ》き心で、昨夜待ち明した寝みだれ髪を、黄楊《つげ》の鬢櫛《びんくし》で掻き上げながら、その大勝《だいかつ》のうちはもとより、慌だしく、方々心当りを探し廻つた。が、何処《どこ》にも居ないし、誰も知らぬ。
 やがて日の暮《くれ》るまで尋ねあぐんで、――夜あかしの茶飯《ちゃめし》あんかけの出る時刻――神楽坂下《かぐらさかした》、あの牛込見附で、顔馴染だつた茶飯屋に聞くと、其処《そこ》で……覚束ないながら一寸心当りが着いたのである。
「岩さんは、……然うですね、――昨夜《ゆうべ》十二時頃でもございましたらうか、一人で来なすつて――とう/\降り出しやがつた。こいつは大降《おおぶ》りに成らなけりやいゝがッて、空を見ながら、おかはりをなすつたけ。ポツリ/\降つたばかり。すぐに降りやんだものですから、可塩梅《いいあんばい》だ、と然う云つてね、また、お前さん、すた/\駆出して行きなすつたよ。……へい、えゝ、お一人。――他にや其の時お友達は誰も居ずさ。――変に陰気で不気味な晩でございました。ちやうど来なすつた時、目白の九つを聞きましたが、いつもの八つごろほど寂莫《ひっそり》して、びゆう/\風ばかりさ、おかみさん。」
 せめても、此《これ》だけを心遣りに、女房は、小児《こども》たちに、まだ晩の御飯にもしなかつたので、阪《さか》を駆け上がるやうにして、急いで行願寺内へ帰ると、路次口に
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