「あの、二人《ふたり》で石《いし》をのつけたの、……お石塔《せきたふ》のやうな。」
「何《なん》だねえ、まあ、お前《まへ》たちは……」
 と叱《しか》る女房《にようばう》の聲《こゑ》は震《ふる》へた。
「行《い》つてお見《み》よ。」
「お見《み》なちやいよ。」
「あゝ、見《み》るから、見《み》るからね、さあ一所《いつしよ》においで。」
「私《わたい》たちは、父《おとつ》さんを待《ま》つてるよ。」
「出《で》て見《み》まちよう、」
 と手《て》を引合《ひきあ》つて、もつれるやうにばら/\と寺《てら》の門《もん》へ駈《か》けながら、卵塔場《らんたふば》を、灯《ともしび》の夜《よる》の影《かげ》に揃《そろ》つて、かはいゝ顏《かほ》で振返《ふりかへ》つて、
「おつかあ、鰻《うなぎ》を見《み》ても觸《さは》つちや不可《いけな》いよ。」
「觸《さは》るとなくなりますよ。」
 と云《い》ひすてに走《はし》つて出《で》た。
 女房《にようばう》は暗《くら》がりの路地《ろぢ》に足《あし》を引《ひか》れ、穴《あな》へ掴込《つかみこ》まれるやうに、頸《くび》から、肩《かた》から、ちり毛《け》もと、ぞツと氷《こほ》るばかり寒《さむ》くなつた。
 あかりのついた、お附合《つきあひ》の隣《となり》の窓《まど》から、岩《いは》さんの安否《あんぴ》を聞《き》かうとしでもしたのであらう。格子《かうし》をあけた婦《をんな》があつたが、何《なん》にも女房《にようばう》には聞《きこ》えない。……
 肩《かた》を固《かた》く、足《あし》がふるへて、その左側《ひだりがは》の家《うち》の水口《みづくち》へ。……
 ……行《ゆ》くと、腰障子《こししやうじ》の、すぐ中《なか》で、ばちや/\、ばちやり、ばちや/\と音《おと》がする。……
 手《て》もしびれたか、きゆつと軋《きし》む……水口《みづくち》を開《あ》けると、茶《ちや》の間《ま》も、框《かまち》も、だゞつ廣《ぴろ》く大《おほ》きな穴《あな》を四角《しかく》に並《なら》べて陰氣《いんき》である。引窓《ひきまど》に射《さ》す、何《なん》の影《かげ》か、薄《うす》あかりに一目《ひとめ》見《み》ると、唇《くちびる》がひツつツた。……何《ど》うして小兒《こども》の手《て》で、と疑《うたが》ふばかり、大《おほ》きな澤庵石《たくあんいし》が手桶《てをけ》の上《うへ》に、づしんと乘《の》つて、あだ黒《ぐろ》く、一《ひと》つくびれて、ばうと浮《う》いて、可厭《いや》なものの形《かたち》に見《み》えた。
 くわツと逆上《のぼ》せて、小腕《こがひな》に引《ひき》ずり退《の》けると、水《みづ》を刎《は》ねて、ばちや/\と鳴《な》つた。
 もの音《おと》もきこえない。
 蓋《ふた》を向《むか》うへはづすと、水《みづ》も溢《あふ》れるまで、手桶《てをけ》の中《なか》に輪《わ》をぬめらせた、鰻《うなぎ》が一條《ひとすぢ》、唯《たゞ》一條《ひとすぢ》であつた、のろ/\と畝《うね》つて、尖《とが》つた頭《あたま》を恁《か》うあげて、女房《にようばう》の蒼白《あおじろ》い顏《かほ》を、凝《じつ》と視《み》た。――と言《い》ふのである。



底本:「鏡花全集 巻十四」岩波書店
   1942(昭和17)年3月10日第1刷発行
   1987(昭和62)年10月2日第3刷発行
初出:「新小説」春陽堂
   1911(明治44)年
※初出時の表題は、「鰻」です。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2006年11月15日作成
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