けだ》して行《ゆ》きなすつたよ。……へい、えゝ、お一人《ひとり》。――他《ほか》にや其《そ》の時《とき》お友達《ともだち》は誰《だれ》も居《ゐ》ずさ。――變《へん》に陰氣《いんき》で不氣味《ぶきみ》な晩《ばん》でございました。ちやうど來《き》なすつた時《とき》、目白《めじろ》の九《こゝの》つを聞《き》きましたが、いつもの八《や》つころほど寂寞《ひつそり》して、びゆう/\風《かぜ》ばかりさ、おかみさん。」
せめても、此《これ》だけを心遣《こゝろや》りに、女房《にようばう》は、小兒《こども》たちに、まだ晩《ばん》の御飯《ごはん》にもしなかつたので、坂《さか》を駈《か》け上《あが》るやうにして、急《いそ》いで行願寺内《ぎやうぐわんじない》へ歸《かへ》ると、路地口《ろぢぐち》に、四《よつ》つになる女《をんな》の兒《こ》と、五《いつ》つの男《をとこ》の兒《こ》と、廂合《ひあはひ》の星《ほし》の影《かげ》に立《た》つて居《ゐ》た。
顏《かほ》を見《み》るなり、女房《にようばう》が、
「父《とう》さんは歸《かへ》つたかい。」
と笑顏《ゑがほ》して、いそ/\して、優《やさ》しく云《い》つた。――何《なに》が什《ど》うしても、「歸《かへ》つた。」と言《い》はせるやうにして聞《き》いたのである。
不可《いけ》ない。……
「うゝん、歸《かへ》りやしない。」
「歸《かへ》らないわ。」
と女《をんな》の兒《こ》が拗《す》ねでもしたやうに言《い》つた。
男《をとこ》の兒《こ》が袖《そで》を引《ひ》いて、
「父《おとつ》さんは歸《かへ》らないけれどね、いつものね、鰻《うなぎ》が居《ゐ》るんだよ。」
「えゝ、え、」
「大《おほ》きな長《なが》い、お鰻《とゝ》よ。」
「こんなだぜ、おつかあ。」
「あれ、およし、魚尺《うをじやく》は取《と》るもんぢやない――何處《どこ》にさ……そして?」
と云《い》ふ、胸《むね》の瀧《たき》は切《き》れ、唾《つ》が乾《かわ》いた。
「臺所《だいどころ》の手桶《てをけ》に居《ゐ》る。」
「誰《だれ》が持《も》つて來《き》たの、――魚屋《さかなや》さん?……え、坊《ばう》や。」
「うゝん、誰《だれ》だか知《し》らない。手桶《てをけ》の中《なか》に充滿《いつぱい》になつて、のたくつてるから、それだから、遁《に》げると不可《いけな》いから蓋《ふた》をしたんだ。」
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