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はははは飛ぶわ飛ぶわ、南瓜畠《かぼちゃばたけ》へ潜って候《そろ》。
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蟹五郎 人間の首が飛んだ状《さま》だな、気味助《きびすけ》、気味助。かッかッかッ。(と笑い)鯉七、これからどこへ行く。
鯉七 むう、ちと里方へ用がある。ところで滝を下って来た。何が、この頃の旱《ひでり》で、やれ雨が欲しい、それ水をくれろ、と百姓どもが、姫様《ひいさま》のお住居《すまい》、夜叉ヶ池のほとりへ五月蠅《うるさ》きほどに集《たか》って来《う》せる。それはまだ可《よ》い。が、何の禁厭《まじない》か知れぬまで、鉄釘《かなくぎ》、鉄火箸《かなひばし》、錆刀《さびがたな》や、破鍋《われなべ》の尻まで持込むわ。まだしもよ。お供物だと血迷っての、犬の首、猫の頭、目を剥《む》き、髯《ひげ》を動かし、舌をべらべら吐く奴を供えるわ。胡瓜《きゅうり》ならば日野川の河童《かっぱ》が噛《かじ》ろう、もっての外な、汚穢《むそ》うて汚穢うて、お腰元たちが掃除をするに手が懸《かか》って迷惑だ。
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ところで、姫様《ひいさま》のお乳母どの、湯尾峠《ゆのおとうげ》の万年姥《まんねんうば》が、某《それがし》へ内意==降らぬ雨なら降るまでは降らぬ、向後汚いものなど撒散《まきち》らすにおいてはその分に置かぬ==と里へ出て触れい、とある。ためにの、この鰭《ひれ》を煩わす、厄介な人間どもよ。
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蟹五郎 その事かい、御苦労、御苦労。ところで、大池の姫様《ひいさま》には、なかなか雨を下さる思召《おぼしめし》は当分ないかい。
鯉七 分らんの。旱は何も、姫様《ひいさま》御存じの事ではない。第一、其許《そこもと》なども知る通りよ。姫様は、それ、御縁者、白山《はくさん》の剣ヶ峰千蛇ヶ池の若旦那にあこがれて、恋し、恋しと、そればかり思詰めてましますもの、人間の旱なんぞ構っている暇があるものかッてい。
蟹五郎 神通《じんずう》広大――俺をはじめ考えるぞ。さまで思悩んでおいでなさらず、両袖で飜然《ひらり》と飛んで、疾《はや》く剣ヶ峰へおいでなさるが可《よ》いではないか。
鯉七 そこだの、姫様《ひいさま》が座をお移し遊ばすと、それ、たちどころに可恐《おそろ》しい大津波が起って、この村里は、人も、馬も、水の底へ沈んでしまう……
蟹五郎 何が、何が、第一俺が住居《すまい》も広うなる……村が泥沼になるを、何が遠慮だ。勧めろ、勧めろ。
鯉七 忘れたか、鐘《つりがね》がここにある。……御先祖以来、人間との堅い約束、夜昼三度、打つ鐘を、彼奴等《あいつら》が忘れぬ中《うち》は、村は滅びぬ天地の誓盟《ちかい》。姫様《ひいさま》にも随意《まま》にならぬ。さればこそ、御鬱懐《ごうっかい》、その御ふびんさ、おいとしさを忘れたの。
蟹五郎 南無三宝《なむさんぽう》、堂の下で誓を忘れて、鐘《つりがね》の影を踏もうとした。が、山も田圃《たんぼ》も晃々《きらきら》とした月夜だ。まだまだしめった灰も降らぬとなると、俺も沢を出て、山の池、御殿の長屋へ行《ゆ》かずばなるまい。同道を頼むぞ、鯉。
鯉七 むむ、その儀は、ぱくりと合点《のみこ》んだ。かわりにはの、道が寂しい……里へは、きこう同道せい。
蟹五郎 帰途《かえり》はお池へ伴侶《みちづれ》だ。
鯉七 月の畷《なわて》を、唄うて行《ゆ》こうよ。
蟹五郎 何と唄う?
鯉七 ==山を川にしょう==と唄おうよ。
蟹五郎 面白い。
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と同音に、鯉はふらふらと袖を動かし、蟹は、ぱッぱッと煙《けむ》を吹いて、==山を川にしょう、山を川にしょう==と同音に唄い行く。行掛けて淀《よど》み、行途《むこう》を望む。
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鯉七 待て、見馴《みな》れぬものが、何やら田の畝《あぜ》を伝うて来る。
蟹五郎 かッかッ、怪しいものだ。小蔭《こがく》れて様子を見んかい。
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両個、姿を隠す。
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百合 (人形を抱き、媚《なまめ》かしき風情にて戸を開き戸外《こがい》に出づ。)夜の長い事、長い事……何の夏が明易《あけやす》かろう。坊やも寝られないねえ、――お月様幾つ、お十三、七つ――今も誰やら唄うて通ったのをお聞きかい、――山を川にしょ――ああ、この頃では村の人が、山を川にもしたかろう、お気の毒だわねえ。……まあ、良い月夜、峰の草も見えるような。晃さん、お客様の影も、あの、松のあたりに見えようも知れないから、鐘堂《かねつきどう》へ上《あが》りましょうね。……ひょっとかして、袖でも触っ
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