じい》に聞いた伝説を、先祖の遺言のように厳《おごそか》に言って聞かせると、村のものは哄《どっ》と笑う。……若いものは無理もない。老寄《としより》どもも老寄どもなり、寺の和尚《おしょう》までけろりとして、昔話なら、桃太郎の宝を取って帰った方が結構でござる、と言う。癪《しゃく》に障った――勝手にしろ、と私もそこから、(と框《かまち》を指し)草鞋《わらじ》を穿《は》いて、すたすたとこの谷を出て帰ったんだ。帰る時、鹿見村《しかみむら》のはずれの土橋の袂《たもと》に、榎《えのき》の樹の下に立ってしょんぼりと見送ったのが、(と調子を低く)あの、婦人《おんな》だ。
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その日の、明六つの鐘さえ、学校通いの小児《こども》をはじめ、指《ゆびさ》しをして笑う上で、私が撞いた。この様子では、最早や今日から、暮六つの鐘は鳴るまいな!……
もしや、岩抜け、山津浪、そうでもない、大暴風雨《おおあらし》で、村の滅びる事があったら、打明けた処……他《ほか》は構わん、……この娘の生命《いのち》もあるまい――待て、二三日、鐘堂《つりがねどう》を俺が守ろう。その内には、とまた四五日、半月、一月を経《ふ》るうちに、早いものよ、足掛け三年。――君に逢《あ》うまで、それさえ忘れた。……また、忘れるために、その上、年に老朽ちて世を離れた、と自分でも断念《あきらめ》のため。……ばかりじゃ無い、……雁《かりがね》、燕《つばめ》の行《ゆ》きかえり、軒なり、空なり、行交《ゆきか》う目を、ちょっとは紛らす事もあろうと、昼間は白髪の仮髪《かつら》を被《かむ》る。
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学円 (黙然《もくねん》として顔を見る。)
晃 (言葉途絶える)そう顔を見るな、恥入った。
学円 (しばらく、打案じ)すると、あの、……お百合さんじゃ、その人のために、ここに隠れる気になったと云うのじゃ。
晃 ……ますます恥入る。
学円 いや、恥ずるには及ばん。が、どうじゃ、細君を連れて東京に帰るわけには行《ゆ》かんのかい。
晃 何も三ヶ国と言わん。越前一ヶ国とも言わん。われわれ二人が見棄てて去って、この村と、里と、麓《ふもと》に棲《す》むものの生命をどうする。
学円 萩原、(と呼びつつ、寄り)で、君はそれを信ずるかい。
晃 信ずる、信ずるようになった。萩原晃はいざ知らん、越前国三国ヶ岳の麓、鹿見村|琴弾谷《ことひきだに》の鐘楼守《しょうろうもり》、百合の夫の二代の弥太兵衛は確《たしか》に信じる。
学円 (ひたりと洋服の胡坐《あぐら》に手をおき)何にも言わん。そう信ぜい。堅く進ぜい。奥方の人を離れた美しさを見るにつけても、天がこの村のために、お百合さんを造り置いて、鐘楼守を、ここに据えられたものかも知れん。君たち二人は二柱《ふたはしら》の村の神じゃ。就中《なかんずく》、お百合さんは女神じゃな。
百合 (行燈《あんどん》を手に黒髪美しく立出づる)私、どうしたら可《よ》うございましょう。
学円 や、これは……
百合 貴客《あなた》、今ほどは。
学円 さて、お初に……はははは、奥さん。
百合 まあ。……(と恥らう。)
晃 これ、まあ……ではない、よく御挨拶申しな、兄とおなじ人だ。
百合 (黙って手をつく。)
学円 はいはい。いや、御挨拶はもう済みました。貴女《あなた》嚔《くしゃみ》は出ませなんだか。
晃 うっかり嚔なんぞすると、蚊が飛出す。
百合 あれ、沢山《たんと》おなぶんなさいまし。
晃 そんなに、お前、白粉《おしろい》を粧《つ》けて。
百合 あんな事ばかりおっしゃる。(と優しく睨《にら》んで顔を隠す。)
学円 何にしろ、お睦《むつま》じい……ははははは、勝手にお噂《うわさ》をしましたが、何は、お里方、親御、御兄弟は?
晃 山沢、何にもない孤児《みなしご》なんだ。鎮守の八幡《はちまん》の宮の神官《かんぬし》の一人娘で、その神官の父親《おとっ》さんも亡くなった。叔父があって、それが今、神官の代理をしている。……これの前だが、叔父というのは、了簡《りょうけん》のよくない人でな。
学円 それはそれは。
晃 姪《めい》のこれを、附けつ廻しつしたという大難ぶつです。
百合 ほんとうに、たよりのない身体《からだ》でございます。何にも存じません、不束《ふつつか》ものでございますけれど、貴客《あなた》、どうぞ御ふびんをお懸けなすって下さいまし。(しんみりと学円に向って三指《みつゆび》して云う。)
学円 (引き入れられて、思わず涙ぐむ。)御殊勝ですな。他人のようには思いません。
晃 (同じく何となく胸せまる。涙を払って)さあさあ、親類というお言葉なんだ。遠慮のない処、何にも要らん。御吹聴《ごふいちょう》の鴫焼《しぎやき》で一杯つけな。これからゆっくり話す
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