緋《ひ》の衣したる山伏の扮装《いでたち》。山牛蒡《やまごぼう》の葉にて捲《ま》いたる煙草《たばこ》を、シャと横銜《よこぐわ》えに、ぱっぱっと煙を噴きながら、両腕を頭上に突張《つッぱ》り、ト鋏《はさみ》を極込《きめこ》み、踞《しゃが》んで横這《よこばい》に、ずかりずかりと歩行《ある》き寄って、与十の潜見《すきみ》する向脛《むこうずね》を、かっきと挟んで引く。
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与十 痛《いて》え。(と叫んで)わっ、(と反る時、鯉ぐるみ竹の小笠を夕顔の蔭に投ぐ。)ひゃあ、藪沢《やぶさわ》の大蟹《おおがに》だ。人殺し!
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と怪《け》し飛んで遁《に》ぐ。――蟹五郎すかりすかりと横に追う。
鯉七《こいしち》。鯉の精。夕顔の蔭より、するすると顕《あらわ》る。黒白鱗《こくびゃくうろこ》の帷子《かたびら》、同じ鱗形《うろこがた》の裁着《たッつけ》、鰭《ひれ》のごときひらひら足袋。件《くだん》の竹の小笠に、面《おもて》を蔽《おお》いながら来り、はたとその小笠を擲《なげう》つ。顔白く、口のまわり、べたりと髯《ひげ》黒し。蟹、これを見て引返す。
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鯉七 (ばくばくと口を開けて、はっと溜息《ためいき》し)ああ、人間が旱《ひでり》の切なさを、今にして思当った。某《それがし》が水離れしたと同然と見える。……おお、大蟹、今ほどはお助け嬉しい、難有《ありがた》かったぞ。
蟹五郎 水心、魚心だ、その礼に及ぼうかい。また、だが、滝登りもするものが、何じゃとて、笠の台に乗せられた。
鯉七 里へ出る近道してな、無理な流《ながれ》を抜けたと思え。石に鰭が躓《つまず》いて、膚捌《はださばき》のならぬ処を、ばッさりと啖《くら》った奴よ。
蟹五郎 こいつにか。(と落ちたる笠を挟んで圧《おさ》える。)
鯉七 鬼若丸以来という、難儀に逢わせた。百姓めが、汝《うぬ》。(と笠を蹈《ふ》む。)
笠 己《おれ》じゃねえ、己じゃねえ。(と、声ばかりして蔭にて叫ぶ。)
鯉七 はあ、いかさま汝《きさま》のせいでもあるまい。助けてやろう――そりゃ行け。やい、稲が実ったら案山子《かかし》になれ!
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と放す。しかけにて、竹の小笠はたはたと煽《あお》って遁《に》げる。
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