越前国三国ヶ岳の麓、鹿見村|琴弾谷《ことひきだに》の鐘楼守《しょうろうもり》、百合の夫の二代の弥太兵衛は確《たしか》に信じる。
学円 (ひたりと洋服の胡坐《あぐら》に手をおき)何にも言わん。そう信ぜい。堅く進ぜい。奥方の人を離れた美しさを見るにつけても、天がこの村のために、お百合さんを造り置いて、鐘楼守を、ここに据えられたものかも知れん。君たち二人は二柱《ふたはしら》の村の神じゃ。就中《なかんずく》、お百合さんは女神じゃな。
百合 (行燈《あんどん》を手に黒髪美しく立出づる)私、どうしたら可《よ》うございましょう。
学円 や、これは……
百合 貴客《あなた》、今ほどは。
学円 さて、お初に……はははは、奥さん。
百合 まあ。……(と恥らう。)
晃 これ、まあ……ではない、よく御挨拶申しな、兄とおなじ人だ。
百合 (黙って手をつく。)
学円 はいはい。いや、御挨拶はもう済みました。貴女《あなた》嚔《くしゃみ》は出ませなんだか。
晃 うっかり嚔なんぞすると、蚊が飛出す。
百合 あれ、沢山《たんと》おなぶんなさいまし。
晃 そんなに、お前、白粉《おしろい》を粧《つ》けて。
百合 あんな事ばかりおっしゃる。(と優しく睨《にら》んで顔を隠す。)
学円 何にしろ、お睦《むつま》じい……ははははは、勝手にお噂《うわさ》をしましたが、何は、お里方、親御、御兄弟は?
晃 山沢、何にもない孤児《みなしご》なんだ。鎮守の八幡《はちまん》の宮の神官《かんぬし》の一人娘で、その神官の父親《おとっ》さんも亡くなった。叔父があって、それが今、神官の代理をしている。……これの前だが、叔父というのは、了簡《りょうけん》のよくない人でな。
学円 それはそれは。
晃 姪《めい》のこれを、附けつ廻しつしたという大難ぶつです。
百合 ほんとうに、たよりのない身体《からだ》でございます。何にも存じません、不束《ふつつか》ものでございますけれど、貴客《あなた》、どうぞ御ふびんをお懸けなすって下さいまし。(しんみりと学円に向って三指《みつゆび》して云う。)
学円 (引き入れられて、思わず涙ぐむ。)御殊勝ですな。他人のようには思いません。
晃 (同じく何となく胸せまる。涙を払って)さあさあ、親類というお言葉なんだ。遠慮のない処、何にも要らん。御吹聴《ごふいちょう》の鴫焼《しぎやき》で一杯つけな。これからゆっくり話す
前へ
次へ
全38ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング