たんだ。弥太兵衛|爺《じじい》に、鐘の所謂《いわれ》を聞きながら、夜があけたら池まで案内させる約束で、小屋へ泊めて貰った処。
その夜、丑満《うしみつ》の鐘を撞いて、鐘楼《しょうろう》の高い段から下りると、爺《じじい》は、この縁前《えんさき》で打倒《ぶったお》れた――急病だ。死ぬ苦悩《くるしみ》をしながら、死切れないと云って、悶《もだ》える。――こうした世間だ、もう以前から、村一統鐘の信心が消えている。……爺《じい》が死んだら、誰も鐘を鳴らすものがない。一度でも忘れると、掌《たなそこ》をめぐらさず、田地田畠、陸は水になる、沼になる、淵《ふち》になる。幾万、何千の人の生命《いのち》――それを思うと死ぬるも死切れぬと、呻吟《うめ》いて掻《もが》く。――虫より細い声だけれども、五十年の明暮《あけくれ》を、一生懸命、そうした信仰で鐘楼を守り通した、骨と皮ばかりの爺《じい》が云うのだ。……鐘の自《おのず》から鳴るごとく、僕の耳に響いた。……且《かつ》は臨終の苦患《くげん》の可哀《あわれ》さに、安心をさせようと、――心配をするな親仁《おやじ》、鐘は俺が撞いてやる、――とはっきり云うと、世にも嬉しそうに、ニヤニヤと笑って、拝みながら死んだ。その時の顔を今に忘れん。
が、まさか、一生、ここに鐘を撞いて終ろうとは思わなかった。丑満は爺が済ました、明六つの鐘一度ばかり、代って撞くぐらいにしか考えなかった。が、まあ、爺が死ぬ、村のものを呼ぼうにも、この通り隣家《となり》に遠い。三度の掟《おきて》でその外は、火にも水にも鐘を撞くことはならないだろう。
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学円 その鳴らしてならないというは、どうした次第《わけ》じゃね?
晃 鐘は、高く、ここにあって――その影は、深く夜叉ヶ池の碧潭《へきたん》に映ると云う。……撞木《しゅもく》を当てて鳴る時は、凩《こがらし》にすら、そよりとも動かない、その池の水が、さらさらと波を立てると聞く。元来、竜神を驚かすために打鳴らすのであるから、三度のほかに騒がしては、礼を欠く事に当る。……
学円 その道理じゃ、むむ。
晃 鐘も鳴らせん……処で、不知案内の村を駈廻《かけまわ》って人を集めた、――サア、弥太兵衛の始末は着いたが、誰も承合《うけあ》って鐘を撞こうと言わない。第一、しかじかであるからと、爺《
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