う――その話をする気であったが、……まだ外に、月が聞くと言わるるから、出直して、別の談話《はなし》をする気になった。お聞きなさい。これは現在|一昨年《おととし》の夏――
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一人、私《わし》の親友に、何かかねて志す……国々に伝わった面白い、また異《かわ》った、不思議な物語を集めてみたい。日本中残らずとは思うが、この夏は、山深い北国《ほっこく》筋の、谷を渡り、峰を伝って尋ねよう、と夏休みに東京を出ました。――それっきり、行方が知れず、音沙汰《おとさた》なし。親兄弟もある人物、出来る限り、手を尽くして捜したが、皆目|跡形《あとかた》が分らんから、われわれ友だちの間にも、最早《もは》や世にない、死んだものと断念《あきら》めて、都を出た日を命日にする始末。いや、一時は新聞沙汰、世間で豪《えら》い騒ぎをした。……
自殺か、怪我《けが》か、変死かと、果敢《はか》ない事に、寄ると触ると、袂《たもと》を絞って言い交わすぞ! あとを隠すにも、死ぬのにも、何の理由もない男じゃに、貴女、世間には変った事がありましょうな。……
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百合 ああ、貴客《あなた》、貴客、難有《ありがと》う存じます。……ほんとうに難有う存じました。(とにべなく言う。)
学円 そんなに礼を云うて、茶代のかわりになるのですかい。
百合 もう沢山でございます。
学円 それでは面白かったのじゃね。
百合 ……おもしろいのは、前の牡丹餅の化けた方、あとのは沢山でございます。
学円 さて談話《はなし》はこれからなんじゃ、今のはほんの前提《まえおき》ですが。
百合 どうぞ、……結構でございますから、……そして貴客、もう暗くなります、お宿をお取り遊ばすにも御不自由でございましょうから。……
学円 いやいや、談話の模様では、宿をする事もあると言われた。私《わし》も一つ泊めて下さい、――この談話は実《み》がありますから。
百合 先刻《さっき》は、貴客、女の口から泊りの事なぞ聞くんじゃない。……その言《ことば》について、宿の無心でもされたらどうするとおっしゃって。……もう、清い涼《すずし》いお方だと思いましたものを、……女ばかり居る処で、宿貸せなぞと、そんな事、……もう、私は気味が悪い。
学円 気味が悪いな? 牡丹餅の化けたのではないですが。
百合
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