じゃ。)
と政治狂が、柱へ、うんと搦《から》んで、尻を立てた。
(ぼくは、はや、この方が楽で、もう遣っとるが。)
と、水浸しの丸太のような、脚気の足を、襖《ふすま》の破《や》れ桟に、ぶくぶくと掛けている。
(幹もやれよ。)
と主人《あるじ》が、尻で尺蠖虫《しゃくとりむし》をして、足をまた突張《つっぱ》って、
(成程、気がかわっていい、茸は焼けろ、こっちはやけだ。)
その挙げた足を、どしんと、お雪さんの肩に乗せて、柔かな細頸《ほそくび》をしめた時です。
(ああ、ひもじいを逆《さかさ》にすれば、おなかが、くちいんだわね。)
と真俯向《まうつむ》けに、頬を畳に、足が、空で一つに、ひたりとついて、白鳥が目を眠ったようです。
ハッと思うと、私も、つい、脚を天井に向けました。――その目の前で、
(男は意気地がない、ぐるぐる廻らなくっちゃあ。)
名工のひき刀が線を青く刻んだ、小さな雪の菩薩《ぼさつ》が一体、くるくると二度、三度、六地蔵のように廻る……濃い睫毛《まつげ》がチチと瞬いて、耳朶《みみたぶ》と、咽喉《のど》に、薄紅梅の血が潮《さ》した。
(初茸と一所に焼けてしまえばいい。)
脚気は喘《あえ》いで、白い舌を舐《な》めずり、政治狂は、目が黄色に光り、主人《あるじ》はけらけらと笑った。皆逆立ちです。そして、お雪さんの言葉に激《はげ》まされたように、ぐたぐたと肩腰をゆすって、逆《さかさま》に、のたうちました。
ひとりでに、頭のてっぺんへ流れる涙の中《うち》に、網の初茸が、同じように、むくむくと、笠軸を動かすと、私はその下に、燃える火を思った。
皆、咄嗟《とっさ》の間、ですが、その、廻っている乳が、ふわふわと浮いて、滑らかに白く、一列に並んだように思う……
(心配しないでね。)
と莞爾《にっこり》していった、お雪さんの言《ことば》が、逆《さかさ》だから、(お遁《に》げ、危《あぶな》い。)と、いうように聞えて、その白い菩薩の列の、一番|框《かまち》へ近いのに――導かれるように、自分の頭と足が摺《ず》って出ると、我知らず声を立てて、わッと泣きながら遁出《にげだ》したんです。
路地口の石壇を飛上り、雲の峰が立った空へ、桟橋のような、妻恋坂の土に突立った、この時ばかり、なぜか超然として――博徒なかまの小僧でない。――ひとり気が昂《あが》ると一所に、足をなぐように、腰をついて倒れました。」
天地震動、瓦《かわら》落ち、石崩れ、壁落つる、血煙の裡《うち》に、一樹が我に返った時は、もう屋根の中へ屋根がめり込んだ、目の下に、その物干が挫《ひしゃ》げた三徳のごとくになって――あの辺も火は疾《はや》かった――燃え上っていたそうである。
これ――十二年九月一日の大地震であった。
「それがし、九識《くしき》の窓の前、妙乗の床のほとりに、瑜伽《ゆが》の法水を湛《たた》え――」
時に、舞台においては、シテなにがし。――山の草、朽樹《くちき》などにこそ、あるべき茸が、人の住《すま》う屋敷に、所嫌わず生出《はえい》づるを忌み悩み、ここに、法力の験《げん》なる山伏に、祈祷《きとう》を頼もうと、橋がかりに向って呼掛けた。これに応じて、山伏が、まず揚幕の裡《うち》にて謡ったのである。が、鷺玄庵と聞いただけでも、思いも寄らない、若く艶《つや》のある、しかも取沈めた声であった。
幕――揚る。――
「――三密の月を澄ます所に、案内《あない》申さんとは、誰《た》そ。」
すらすらと歩を移し、露を払った篠懸《すずかけ》や、兜巾《ときん》の装《よそおい》は、弁慶よりも、判官《ほうがん》に、むしろ新中納言が山伏に出立《いでた》った凄味《すごみ》があって、且つ色白に美しい。一二の松も影を籠《こ》めて、袴《はかま》は霧に乗るように、三密の声は朗らかに且つ陰々として、月清く、風白し。化鳥《けちょう》の調の冴《さ》えがある。
「ああ、婦人だ。……鷺流《さぎりゅう》ですか。」
私がひそかに聞いたのに、
「さあ。」
一言いったきり、一樹が熟《じっ》と凝視《みつ》めて、見る見る顔の色がかわるとともに、二度ばかり続け様に、胸を撫《な》でて目をおさえた。
先を急ぐ。……狂言はただあら筋を言おう。舞台には茸の数が十三出る。が、実はこの怪異を祈伏《いのりふ》せようと、三山の法力を用い、秘密の印《いん》を結んで、いら高の数珠を揉《も》めば揉むほど、夥多《おびただ》しく一面に生えて、次第に数を増すのである。
茸は立衆《たてしゅう》、いずれも、見徳、嘯吹《うそのふき》、上髭《うわひげ》、思い思いの面を被《かぶ》り、括袴《くくりばかま》、脚絆《きゃはん》、腰帯、水衣《みずぎぬ》に包まれ、揃って、笠を被る。塗笠、檜笠《ひのきがさ》、竹子笠、菅《すげ》の笠。松茸、椎茸、とび茸、おぼ
前へ
次へ
全11ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング