い、と極《き》めたのは妙ですけれども、飢えて空腹《ひだる》くっているんだから、夏でも火気はありますまい。死《しに》ぎわに熱でも出なければ――しかし、若いから、そんなに痩《や》せ細ったほどではありません。中肉で、脚のすらりと、小股《こまた》のしまった、瓜《うり》ざね顔で、鼻筋の通った、目の大《おおき》い、無口で、それで、ものいいのきっぱりした、少し言葉尻の上る、声に歯ぎれの嶮《けん》のある、しかし、気の優しい、私より四つ五つ年上で――ただうつくしいというより仇《あだ》っぽい婦人《おんな》だったんです。何しろその体裁ですから、すなおな髪を引詰《ひッつ》めて櫛巻《くしまき》でいましたが、生際が薄青いくらい、襟脚が透通って、日南《ひなた》では消えそうに、おくれ毛ばかり艶々《つやつや》として、涙でしょう、濡れている。悲惨な事には、水ばかり飲むものだから、身籠《みごも》ったようにかえってふくれて、下腹のゆいめなぞは、乳の下を縊《くび》ったようでしたよ。
空腹《すきはら》にこたえがないと、つよく紐《ひも》をしめますから、男だって。……
お雪さん――と言いました。その大切な乳をかくす古手拭は、膚《はだ》に合った綺麗好きで、腰のも一所に、ただ洗いただ洗いするんですから、油旱《あぶらでり》の炎熱で、銀粉のようににじむ汗に、ちらちらと紗《しゃ》のように靡《なび》きました。これなら干ぼしになったら、すぐ羽にかわって欄間を飛ぶだろうと思ったほどです。いいえ、天人なぞと、そんな贅沢《ぜいたく》な。裏長屋ですもの、くさばかげろうの幽霊です。
その手拭が、娘時分に、踊のお温習《さらい》に配ったのが、古行李《ふるこうり》の底かなにかに残っていたのだから、あわれですね。
千葉だそうです。千葉の町の大きな料理屋、万翠楼《ばんすいろう》の姉娘が、今の主人の、その頃医学生だったのと間違って。……ただ、それだけではないらしい。学生の癖に、悪く、商売人じみた、はなを引く、賭碁《かけご》を打つ。それじゃ退学にならずにいません。佐原の出で、なまじ故郷が近いだけに、外聞かたがた東京へ遁出《にげだ》した。姉娘があとを追って遁げて来て――料理屋の方は、もっとも継母だと聞きましたが――帰れ、と云うのを、男が離さない。女も情を立てて帰らないから、両方とも、親から勘当になったんですね、親類義絶――つまるところ。
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