せる》を取って、
「いや、真面目に真面目に、何か、心当りでも出来たかね。」
縁談
十六
時に河野がその事と言えば、いずれ婦《おんな》に違いないが、早瀬はいつもこの人から、その収紅拾紫《しゅうこうしゅうし》、鶯《うぐいす》を鳴かしたり、蝶を弄《もてあそ》んだりの件について、いや、ああ云ったがこれは何と、こう申したがそれは如何《いかに》。無心をされたがどうしたものか、なるべくは断りたい、断ったら嫌われようか、嫌われては甚だ不好《まず》い。一体|恋《スウィート》でありながら金子《かね》をくれろは変な工合だ、妙だよ。その意志のある処を知るに苦《くるし》む、などと、※[#「そろべくそろ」の合字、59−2]紅をさして、蚯蚓《みみず》までも突附けて、意見? を問われるには恐れている。
誇るに西洋料理七皿をもってする、式《かた》のごとき若様であるから、冷評《ひやか》せば真に受ける、打棄《うっちゃ》って置けば悄《しょ》げる、はぐらかしても乗出す。勢い可い加減にでも返事をすれば、すなわち期せずして遊蕩《あそび》の顧問になる。尠《すくな》からず悩まされて、自分にお蔦と云う弱点《よわみ》があるだけ、人知れず冷汗が習《ならい》であったから、その事ならもう聞くまい、と手強く念を入れると、今夜はズボンの膝を畏《かしこま》っただけ大真面目。もっとも馴染《なじみ》の相談も串戯《じょうだん》ではないのだけれども。特に更《あらたま》って、ついにない事、もじもじして、
「実はね、母様も云ったんだ、君に相談をして見ろと……」
「縁談だね、真面目な。」
珍らしそうに顔を見て、
「母様から御声懸りで、僕に相談と云う縁談の口は、当時心当りが無いが。ああ、」
と軽く膝を叩いた。
「隣家《となり》のかい。むむ、あれは別嬪《べっぴん》だ。ちょいと高慢じゃあるが、そのかわり学校はなかなか出来るそうだ。」
英吉は小児《こども》のように頭《かぶり》を振って、
「ううむ、違うよ。」
「違う。じゃ誰だい。」
と落着いて尋ねると、慌てて衣兜《かくし》へ手を突込《つっこ》み、肩を高うして、一ツ揺《ゆす》って、
「真砂町の、」
「真砂町※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
と聞くや否や、鸚鵡返《おうむがえ》しに力が入った。床の間にしっとりと露を被《かつ》いだ矢車の花は、燈《ひ》の明《あかり》を余所《よそ》に、暖か過ぎて障子を透《すか》した、富士見町あたりの大空の星の光を宿して、美しく活《いか》っている。
見よ、河野が座を、斜《ななめ》に避けた処には、昨日《きのう》の袖の香を留めた、友染の花も、綾《あや》の霞も、畳の上を消えないのである。
真砂町、と聞返すと斉《ひと》しく、屹《きっ》とその座に目を注いだが、驚破《すわ》と謂《い》わば身をもって、影をも守らん意気組であった。
英吉はまた火箸を突支棒《つっかいぼう》のようにして、押立尻《おったてじり》をしながら、火鉢の上へ乗掛《のっかか》って、
「あの、酒井ね、君の先生の。あすこに娘があるんだね。」
「あるさ、」と云ったが、余り取っても着けないようで、我ながら冷かに聞えたから、
「知らなかったかな、君は。随分その方へかけちゃ、脱落《ぬかり》はあるまいに。」
「洋燈《ランプ》台下暗しで、(と大《おおい》に洒落《しゃ》れて、)さっぱり気が付かなかった。君ン許《とこ》へもちょいちょい遊びに来るんだろう。」
「お成りがあるさ。僕には御主人だ。」
「じゃ一度ぐらい逢いそうなものだった。」
何か残惜く、かごとがましく、不平そうに謂ったのが、なぜ見せなかった、と詰《なじ》るように聞えたので、早瀬は石を突流すごとく、
「縁が無かったんだろうよ。」
「ところがあります、ははは、」と、ここでまた相好とともに足を崩して、ぐたりと横坐りになって、
「思うに逢わずして思わざるに……じゃない。向うも来れば僕も来るのに、此家《ここ》で逢いそうなものだったが、そうでなくって君、学校で見たよ。ああ、あの人の行く学校で、妙子さんの行く学校で。」
と、何だか話しに乗らないから、畳かけて云った。妙子、と早や名のこの男に知られたのを、早瀬はその人のために恥辱のように思って、不快な色が眉の根に浮んだ。
「どうして、学校で、」
とこの際わざと尋ねたのである。母子《おやこ》で参観したことは、もう心得ていたのに。
十七
「どうもこうも無いさ。母様と二人で参観に出掛けたんだ。教頭は僕と同窓だからね。先《せん》にから来て見い、来て見い、と云うけれど、顔の方じゃ大した評判の無い学校だから、馬鹿にしていたが驚いたね。勿論五年級にゃ佳《い》いのが居ると云ったっけが、」
「じゃあその教頭、媒酌人《なこうど》も遣《や》るんだな。」
と舌尖《したさき》三分で切附けたが、一向に感じないで、
「遣るさ。そのかわり待合や、何かじゃ、僕の方が媒酌人だよ。」
「怪しからん。黒と白との、待て? 海老茶と緋縮緬《ひぢりめん》の交換だな。いや、可い面《つら》の皮だ。ずらりと並べて選取《よりど》りにお目に掛けます、小格子の風だ。」
「可いじゃないか、学校の目的は、良妻賢母を造るんだもの、生理の講義も聞かせりゃ、媒酌《なこうど》もしようじゃあないか。」
とこの人にして大警句。早瀬は恐入った体で、
「成程、」
「勿論人を見てするこッた、いくら媒酌人をすればッて、人ごとに許しゃしない。そこは地位もあり、財産もあり、学位も有るもんなら、」
と自若として、自分で云って、意気|頗《すこぶ》る昂然《こうぜん》たりで、
「講堂で良妻賢母を拵《こしら》えて、ちゃんと父兄に渡す方が、双方の利益だもの。教頭だって、そこは考えているよ。」
「で何かね、」
早瀬は、斜めに開き直って、
「そこで僕の、僕の先生の娘を見たんだな。」
「ああ、しかも首席よ。出来るんだね。そうして見た処、優美《しとやか》で、品が良くって、愛嬌《あいきょう》がある。沢山ない、滅多にないんだ。高級三百顔色なし。照陽殿裏第一人だよ。あたかも可《よし》、学校も照陽女学校さ。」
と冷えた茶をがぶりと一口。浮かれの体とおいでなすって、
「はは、僕ばかりじゃない、第一母様が気に入ったさ。あれなら河野家の嫁にしても、まあまあ……恥かしくない、と云って、教頭に尋ねたら、酒井妙子と云うんだ。ちょっと、教員室で立話しをしたんだから、委《くわし》いことは追てとして、その日は帰った。
すると昨日《きのう》、母様がここへ訪ねて来たろう。帰りがけに、飯田町から見附《みつけ》を出ようとする処で、腕車《くるま》を飛ばして来た、母衣《ほろ》の中のがそれだッたって、矢車の花を。」
と言いかけて、床の間を凝《じっ》と見て、
「ああ、これだこれだ。」
ひょいと腰を擡《もた》げて、這身《はいみ》にぬいと手を伸ばした様子が、一本《ひともと》引抜《ひんぬ》きそうに見えたので、
「河野!」
「ええ、」
「それから。おい、肝心な処だ。フム、」
乗って出たのに引込まれて、ト居直って、
「あの砂埃《すなほこり》の中を水際立って、駈け抜けるように、そりゃ綺麗だったと云うのだ。立留って見送ると、この内の角へ車を下ろしたろう。
そろそろ引返《ひっかえ》したんです、母様がね。休んでいた車夫に、今のお嬢さんは真中の家へですか。へい、さようで、と云うのを聞いて帰ったのさね。」
と早口に饒舌《しゃべ》って、
「美人だねえ。君、」とゆったり顔を見る。
「ト遣った工合は、僕が美人のようだ、厭だ。結婚なんぞ申込んじゃ、」と笑いながら、大《おおい》に諷するかのごとくに云って、とんと肩を突いて、
「浮気ものめ。」
「浮気じゃない、今度ばかしゃ大真面目だがね、君、どうかなるまいか。」
また甘えるように、顔を正的《まとも》に差出して、頤《おとがい》を支えた指で、しきりに忙《せわし》く髯を捻《ひね》る。
早瀬はしばらく黙ったが、思わず拱《こまぬ》いていた腕に解くと、背後《うしろ》ざまに机に肱《ひじ》、片手をしかと膝に支《つ》いて、
「貰うさ。」
「え。」
「お貰いなさい。」
「くれようか。」
「話によっちゃ、くれましょう。」
「後継者《あととり》じゃないんだね。」
「勿論後継者じゃあない。」
「じゃ、まあ、話は出来るとして、」と、澄まして云って、今度は心ありげに早瀬の顔を。
「だが、何だよ、私《あっし》ア」と云った調子が変って、
「媒介人《なこうど》は断るぜ、照陽女学校の教頭じゃないんだから。」
十八
そうすると英吉が、かねて心得たりの態度で、媒酌人は勿論、しかるべき人をと云ったのが、其許《そのもと》ごときに勤まるものかと、軽《かろ》んじ賤《いや》しめたように聞えて、
「そりゃ、いざとなりゃ、教育界に名望のある道学者先生の叔父もあるし、また父様《とうさん》の幕下で、現下その筋の顕職にある人物も居るんだから、立派に遣ってくれるんだけれど、その君、媒酌人を立てるまでに、」
と手を揃えて、火鉢の上へ突出して、じりりと進み、
「先方《さき》の身分も確めねばならず、妙子、(ともう呼棄てにして)の品行の点もあり、まあ、学校は優等としてだね。酒井は飲酒家《さけのみ》だと云うから、遺伝性の懸念もありだ。それは大丈夫としてからが、ああいう美しいのには有りがちだから、肺病の憂《うれい》があってはならず、酒井の親属関係、妙子の交友の如何《いかん》、そこらを一つ委《くわ》しく聞かして貰いたいんだがね。」
主税は堪《たま》りかねて、ばりばりと烏府《すみとり》の中を突崩した。この暖いのに、河野が両手を翳《かざ》すほど、火鉢の火は消えかかったので、彼は炭を継ごうとして横向になっていたから、背けた顔に稲妻のごとく閃《ひらめ》いた額の筋は見えなかったが、
「もう一度聞こう、何だっけな。先方《さき》の身分?」
「うむ、先方の身分さ。」
「独逸文学者よ、文学士だ……大学教授よ。知ってるだろう、私の先生だ。」
「むむ、そりゃ分ってるがね、妙子の品行の点もあり、」
「それから、」
「遺伝さ、」
「肺病かね、」
「親族関係、交友の如何《いかん》さ。何、友達の事なんぞ、大した条件ではないよ。結婚をすれば、処女時代の交際は自然に疎《うと》くなるです。それに母様が厳しく躾《しつけ》れば、その方は心配はないが、むむ、まだ要点は財産だ。が、酒井は困っていやしないだろうか。誰も知った侠客《きょうかく》風の人間だから、人の世話をすりゃ、つい物費《ものいり》も少くない。それにゃ、評判の飲酒家《さけのみ》だし、遊ぶ方も盛だと云うし、借金はどうだろう。」
主税は黙って、茶を注《つ》いだが、強いて落着いた容子に見えた。
「何かね、持参金でも望みなのかね。」
「馬鹿を謂《い》いたまえ。妹たちを縁附けるに、こちらから持参はさせるが、僕が結婚するに、いやしくも河野の世子が持参金などを望むものか。
君、僕の家じゃ、何だ、女の児《こ》が一人生れると、七夜から直ぐに積立金をするよ。それ立派に支度が出来るだろう。結婚してからは、その利息が化粧料、小遣となろうというんだ。自然嫁入先でも幅が利きます。もっともその金を、婿の名に書き替《かえ》るわけじゃないが、河野家においてさ、一人一人の名にして保管してあるんだから、例えば婿が多日《しばらく》月給に離れるような事があっても、たちまち破綻《はたん》を生ずるごとき不面目は無い。
という円満な家庭になっているんだ。で先方《さき》の財産は望じゃないが、余り困っているようだと、親族の関係から、つい迷惑をする事になっちゃ困る。娘の縁で、一時借用なぞというのは有がちだから。」
「酒井先生は江戸児《えどっこ》だ!」
と唐突《だしぬけ》に一喝して、
「神田の祭礼《まつり》に叩き売っても、娘の縁で借りるもんかい。河野!」
と屹《きっ》と見た目の鋭さ。眉を昂《あ》げて、
「髯があったり、本を読んだり、お互の交際は窮屈だ。撲倒《はりたお》すのを野蛮と云うんだ。」
お蔦は湯から
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