両手を翳《かざ》すほど、火鉢の火は消えかかったので、彼は炭を継ごうとして横向になっていたから、背けた顔に稲妻のごとく閃《ひらめ》いた額の筋は見えなかったが、
「もう一度聞こう、何だっけな。先方《さき》の身分?」
「うむ、先方の身分さ。」
「独逸文学者よ、文学士だ……大学教授よ。知ってるだろう、私の先生だ。」
「むむ、そりゃ分ってるがね、妙子の品行の点もあり、」
「それから、」
「遺伝さ、」
「肺病かね、」
「親族関係、交友の如何《いかん》さ。何、友達の事なんぞ、大した条件ではないよ。結婚をすれば、処女時代の交際は自然に疎《うと》くなるです。それに母様が厳しく躾《しつけ》れば、その方は心配はないが、むむ、まだ要点は財産だ。が、酒井は困っていやしないだろうか。誰も知った侠客《きょうかく》風の人間だから、人の世話をすりゃ、つい物費《ものいり》も少くない。それにゃ、評判の飲酒家《さけのみ》だし、遊ぶ方も盛だと云うし、借金はどうだろう。」
主税は黙って、茶を注《つ》いだが、強いて落着いた容子に見えた。
「何かね、持参金でも望みなのかね。」
「馬鹿を謂《い》いたまえ。妹たちを縁附けるに、こちらから持参はさせるが、僕が結婚するに、いやしくも河野の世子が持参金などを望むものか。
君、僕の家じゃ、何だ、女の児《こ》が一人生れると、七夜から直ぐに積立金をするよ。それ立派に支度が出来るだろう。結婚してからは、その利息が化粧料、小遣となろうというんだ。自然嫁入先でも幅が利きます。もっともその金を、婿の名に書き替《かえ》るわけじゃないが、河野家においてさ、一人一人の名にして保管してあるんだから、例えば婿が多日《しばらく》月給に離れるような事があっても、たちまち破綻《はたん》を生ずるごとき不面目は無い。
という円満な家庭になっているんだ。で先方《さき》の財産は望じゃないが、余り困っているようだと、親族の関係から、つい迷惑をする事になっちゃ困る。娘の縁で、一時借用なぞというのは有がちだから。」
「酒井先生は江戸児《えどっこ》だ!」
と唐突《だしぬけ》に一喝して、
「神田の祭礼《まつり》に叩き売っても、娘の縁で借りるもんかい。河野!」
と屹《きっ》と見た目の鋭さ。眉を昂《あ》げて、
「髯があったり、本を読んだり、お互の交際は窮屈だ。撲倒《はりたお》すのを野蛮と云うんだ。」
お蔦は湯から
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