文学者酒井俊蔵先生の令嬢に対して、身の程も弁えず、無礼を仕《つかまつ》りました申訳が無い、とお詫びなさい。
そうすりゃ大概、河野家は支離滅裂、貴下のいわゆる家族主義の滅亡さ。そこで敗軍した大将だ。貴下は安東村の貞造の馬小屋へでも引込《ひっこ》むんだ。ざっと、まあ、これだけさ。」
と帽子で、そよそよと胸を煽《あお》いだ。
時に蝕しつつある太陽を、いやが上に蔽《おお》い果さんずる修羅の叫喚《さけび》の物凄《ものすさまじ》く響くがごとく、油蝉の声の山の根に染み入る中に、英臣は荒らかな声して、
「発狂人!」
「ああ、狂人《きちがい》だ、が、他《ほか》の気違は出来ないことを云って狂うのに、この狂気《きちがい》は、出来る相談をして澄ましているばかりなんだよ。」
舌もやや釣る、唇を蠢《うごめ》かしつつ、
「で、私《わし》がその請求を肯《き》かんけりゃ、汝《きさま》、どうすッとか言うんじゃのう。」と、太息を吐《つ》いたのである。
「この毒薬の瓶をもって、ちと古風な事だけれど、恐れながらと、遣《や》ろうと云うのだ。それで大概、貴下の家は寂滅でしょうぜ。」
英臣は辛うじて罵《ののし》り得た。
「騙《かたり》じゃのう、」
「騙ですとも。」
「強請《ゆすり》じゃが。汝《きさま》、」
「強請ですとも。」
「それで汝《きさま》人間か。」
「畜生でしょうか。」
「それでも独逸語の教師か。」
「いいえ、」
「学者と言われようか。」
「どういたしまして、」
「酒井の門生か。」
「静岡へ来てからは、そんな者じゃありません。騙です。」
「何、騙じゃ、」
「強請です。畜生です。そして河野家の仇《あだ》なんです。」
「黙れ!」
と一喝、虎のごとき唸《うなり》をなして、杖《ステッキ》をひしと握って、
「無礼だ。黙れ、小僧。」
「何だ、小父さん。」
と云った。英臣は身心ともに燃ゆるがごとき中にも、思わず掉下《ふりおろ》す得物を留めると、主税は正面へ顔を出して、呵々《からから》と笑って、
「おい、己《おれ》を、まあ、何だと思う。浅草|田畝《たんぼ》に巣を持って、観音様へ羽を伸《の》すから、隼《はやぶさ》の力《りき》と綽名《あだな》アされた、掏摸《すり》だよ、巾着切《きんちゃくきり》だよ。はははは、これからその気で附合いねえ、こう、頼むぜ、小父さん。」
五十四
「己《おれ》が十二の小
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