と地《つち》に擲《なげう》つや否や、裳《もすそ》を蹴《けっ》て、前途《むこう》へつかつか。
その時義経少しも騒がず、落ちた菫《すみれ》色の絹に風が戦《そよ》いで、鳩の羽《は》はっと薫るのを、悠々と拾い取って、ぐっと袂《たもと》に突込んだ、手をそのまま、袖引合わせ、腕組みした時、色が変って、人知れず俯向《うつむ》いたが、直ぐに大跨《おおまた》に夫人の後について、社《やしろ》の廻廊を曲った所で追着《おッつ》いた。
「夫人《おくさん》。」
「…………」
「貴女腹をお立てなすったんですか、困りましたな。知らぬ他国へ参りまして、今貴女に見棄てられては、東西も分りませんで、途方に暮れます。どうぞ、御機嫌をお直し下さい、夫人《おくさん》、」
「…………」
「英吉君の御妹御、菅子さん、」
「…………」
「島山夫人……河野令嬢……不可《いけな》い、不可い。」
と口の裡《うち》で云って、歩行《ある》き歩行き、
「ほんとうに機嫌を直して、貴女、御世話下さい、なまじっか、貴女にお便り申したために、今更|独《ひとり》じゃ心細くってどうすることも出来ません。もう決して貴女の前で、米の直《ね》は申しますまい。その代り、貴女もどうぞ貴族的でない、僕が住《すま》れそうな、実際、相談の出来そうな長屋式のをお心掛けなすって下さい。実はその御様子じゃ、二十円以内の家は念頭にお置きなさらないように見受けたものですから、いささか諷する処あるつもりで、」
いつの間にか、有名な随神門も知らず知らず通越した、北口を表門へ出てしまった。
社は山に向い、直ぐ畠で、かえって裏門が町続きになっているが、出口に家が並んでいるから、その前を通る時、主税も黙った。
夫人はもとより口を開かぬ。
やがて茶畑を折曲って、小家まばらな、場末の町へ、まだツンとした態度でずんずん入る。
大巌山の町の上に、小さな溝があるばかり、障子の破《やぶれ》から人顔も見えないので、その時ずッと寄って、
「ものを云って下さいよ。」
「…………」
「夫人《おくさん》、」
「…………」
十四
少時《しばらく》――主税ももう口を利こうとは思わない様子になって、別に苦にする顔色《かおつき》でもないが、腕を拱《こまぬ》いた態《なり》で、夫人の一足後れに跟《つ》いて行《ゆ》く。
裏町の中程に懸ると、両側の家は、どれも火が消えたように
前へ
次へ
全214ページ中134ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング