物があったでしょう。県庁よ。お城の中だわ。ああ、そう、早瀬さん、沢山《たんと》喫《あが》って頂戴、お煙草。露西亜《ロシヤ》巻だって、貰ったんだけれど、島山(夫を云う)はちっとも喫《の》みませんから……」

       八

 それから名物だ、と云って扇屋の饅頭を出して、茶を焙《ほう》じる手つきはなよやかだったが、鉄瓶のはまだ沸《たぎ》らぬ、と銅壺から湯を掬《く》む柄杓《ひしゃく》の柄が、へし折れて、短くなっていたのみか、二度ばかり土瓶にうつして、もう一杯、どぶりと突込む。他愛《たわい》なく、抜けて柄になってしまったので、
「まあ、」と飛んだ顔をして、斜めに取って見透《みすか》した風情は、この夫人《ひと》の艶《えん》なるだけ、中指《なかざし》の鼈甲《べっこう》の斑《ふ》を、日影に透かした趣だったが、
「仕様がないわね。」と笑って、その柄を投《ほう》り出した様子は、世帯《しょたい》の事には余り心を用いない、学生生活の俤《おもかげ》が残った。
 主税が、小児《こども》衆は、と尋ねると、二人とも乳母《ばあや》が連れて、土産ものなんぞ持って、東京から帰った報知《しらせ》旁々《かたがた》、朝早くから出向いたとある。
「河野の父さんの方も、内々小児をだしに使って、東京へ遊びに行った事を知っているんですから、言句《もんく》は言わないまでも、苦い顔をして、髯《ひげ》の中から一睨《ひとにら》み睨むに違いはないんですもの、難有《ありがた》くないわ。母様《かあさん》は自分の方へ、娘が慕って行ったんですから御機嫌が可いでしょう、もうちっと経《た》つと帰って来ます。それまでは、私、実家《さと》へは顔を出さないつもりで、当分風邪をひいた分よ。」
 と火鉢の縁に肱《ひじ》をついて、男の顔を視《なが》めながら、魂の抜け出したような仇気《あどけ》ないことを云う。
「そりゃ、悪いでしょう。」
 と主税がかえって心配らしく、
「彼方《むこう》から、誰方《どなた》かお来《いで》なさりゃしませんか。貴女がお帰りだ、と知れましたら。」
「来るもんですか。義兄《にいさん》(医学士――姉婿を云う)は忙しいし、またちっとでも姉さんを出さないのよ。大でれでれなんですから。父さんはね、それにね、頃日《このごろ》は、家族主義の事に就いて、ちっと纏まった著述をするんだって、母屋に閉籠《とじこも》って、時々は、何よ、一日蔵の
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