と云う思入《おもいれ》で、城を明渡して来ましたがね。
 世の中にゃ、とんだ唐変木も在ったもんで、まだがらくたを片附けてる最中でさ、だん袋を穿きあがった、」
 と云いかけて、主税の扮装《いでたち》を、じろり。
「へへへ、今夜はお前《め》さんも着《や》ってるけれど。まあ、可いや。で何だ、痘痕《あばた》の、お前さん、しかも大面《おおづら》の奴が、ぬうと、あの路地を入って来やあがって、空いたか、空いったか、と云やあがる。それが先生、あいたかった、と目に涙でも何でもねえ。家は空いたか、と云うんでさ。近頃|流行《はや》るけれど、ありゃ不躾《ぶしつけ》だね。お前さん、人の引越しの中へ飛込んで、値なんか聞くのは。たとい、何だ、二ツがけ大きな内へ越すんだって、お飯粒《まんまつぶ》を撒《ま》いてやった、雀ッ子にだって残懐《なごり》は惜《おし》いや、蔦ちゃんなんか、馴染《なじみ》になって、酸漿《ほおずき》を鳴らすと鳴く、流元《ながしもと》の蛙《けえろ》はどうしたろうッて鬱《ふさ》ぐじゃねえか。」
「止せよ、そんな事。」
 と主税は帽子の前を下げる。
「まあさ、そんな中へ来やあがって、お剰《まけ》に、空くのを待っていた、と云う口吻《くちぶり》で、その上横柄だ。
 誰の癪《しゃく》に障るのも同一《おんなじ》だ、と見えて、可笑《おかし》ゅうがしたぜ。車屋の挽子がね、お前《め》さん、え、え、ええッて、人の悪いッたら、聾《つんぼ》の真似をして、痘痕の極印を打った、其奴《そいつ》の鼻頭《はなづら》へ横のめりに耳を突《つっ》かけたと思いねえ。奴もむか腹が立った、と見えて、空いた家《うち》か、と喚《わめ》いたから、私《わっし》ア階子段《はしごだん》の下に、蔦ちゃんが香《におい》を隠して置いたらしい白粉入《おしろいいれ》を引出しながら、空家だい! と怒鳴った。吃驚《びっくり》しやがって、早瀬は、と聞くから、夜遁げをしたよ、と威《おど》かすと、へへへ旦那、」
 め[#「め」に傍点]組は極めて小さい声で、
「私ア高利貸だ、と思ったから……」
 話も事にこそよれ、勿体ない、道学の先生を……高利貸。

       六十二

 ちと黙ったか、と思うと、め[#「め」に傍点]組はきょろきょろ四辺《あたり》を見ながら、帰天斎が扱うように、敏捷《すばや》く四合罎から倒《さかさま》にがぶりと飲《や》って、呼吸《いき》も吐《
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