「で、ございますかな。」とようよう膝去《いざ》り出して、遠くから、背を円くして伸上って、腕を出して、巻莨《まきたばこ》に火を点《つ》けたが、お蔦が物指《ものさし》を当てた襦袢《じゅばん》の袖が見えたので、気にして、慌てて、引込める。
「ちっと透かさないか、籠《こも》るようだ。」
「縁側ですか。」
「ううむ、」
 と頭《かぶり》を掉《ふ》ったので、すっと立って、背後《うしろ》の肱掛窓《ひじかけまど》を開けると、辛うじて、雨落だけの隙《すき》を残して、厳《いかめ》しい、忍返しのある、しかも真新《まあたらし》い黒板塀が見える。
「見霽《みはら》しでも御覧なさいよ。」
 と主税を振向いてまた笑う。
 酒井が凝《じっ》と、その塀を視《なが》めて、
「一面の杉の立樹だ、森々としたものさ。」
 と擽《くすぐ》って、独《ひとり》で笑った。
「しかし山焼の跡だと見えて、真黒は酷《ひど》いな。俺もゆくゆくは此家《こちら》へ引取られようと思ったが、裏が建って、川が見えなくなったから分別を変えたよ。」
 そこへ友染がちらちら来る。
「お出花を、早く、」
「はあ、」
「熱くするんだよ。」
「これ、小児《こども》ばっかり使わないで、ちっと立って食うものの心配でもしろ。民《たみ》はどうした、あれは可《い》い。小老実《こまめ》に働くから。今に帰ったら是非酌をさせよう。あの、愛嬌《あいきょう》のある処で。」
「そんなに、若いのが好《すき》なら、御内のお嬢さんが可いんだわ。ねえ早瀬さん。」
 これには早瀬も答えなかったが、先生も苦笑した。
「妙も近頃は不可《いけな》くなったよ。奥方と目配《めくばせ》をし合って、とかく銚子をこぎって不可《いか》ん。第一酌をしないね。学校で、(お酌さん。)と云うそうだ。小児どもの癖に、相応に皮肉なことを云うもんだ。」
「貴郎《あなた》には小児でも、もうお嫁入|盛《ざかり》じゃありませんか。どうかすると、こっちへもいらっしゃる、学校出の方にゃ、酒井さんの天女《エンゼル》が、何のと云っちゃ、あの、騒いでおいでなさるのがありますわ。」
「あの、嬰児《あかんぼ》をか、どこの坊やだ。」
「あら、あんなことを云って。こちらの早瀬さんなんかでも、ちょうど似合いの年紀頃《としごろ》じゃありませんか。」
 と何でものう云ってのけたが、主税は懐中《ふところ》の三世相とともに胸に支《つか》え
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