出、出しおろう、」
 と震え声で、
「馬鹿!」と一つ極《き》めつけた。
「どうぞ、御免なすって、真平、へい……」
 と革に縋《すが》ったまま、ぐったりとなって、悄気《しょげ》返った職人の状《さま》は、消えも入りたいとよりは、さながら罪を恥じて、自分で縊《くびくく》ったようである。
「コリャ」とまた怒鳴って、満面の痘痕を蠢《うごめ》かして、堪《こら》えず、握拳《にぎりこぶし》を挙げてその横頬《よこづら》を、ハタと撲《ぶ》った。
「あ、痛《いた》、」
 と横に身を反《そ》らして、泣声になって、
「酷《ひ》、酷《ひど》うござんすね……旦那、ア痛々《たた》、」
 も一つ拳で、勝誇って、
「酷いも何も要ったものか。」
 哄《どっ》と立上る多人数《たにんず》の影で、月の前を黒雲が走るような電車の中。大事に革鞄《かばん》を抱きながら、車掌が甲走った早口で、
「御免なさい、何ですか、何ですか。」

       三十三

 カラアの純白《まっしろ》な、髪をきちんと分けた紳士が、職人体の半纏着を引捉《ひっとら》えて、出せ、出せ、と喚《わめ》いているからには、その間の消息一目して瞭然《りょうぜん》たりで、車掌もちっとも猶予《ためら》わず、むずと曲者の肩を握《とりしば》った。
「降りろ――さあ、」
 と一ツしゃくり附けると、革を離して、蹌踉《よろよろ》と凭《もた》れかかる。半纏着にまた凭れ懸かるようになって、三人|揉重《もみかさ》なって、車掌台へ圧《お》されて出ると、先《せん》から、がらりと扉を開けて、把手《ハンドル》に手を置きながら、中を覗込《のぞきこ》んでいた運転手が、チリン無しにちょうどそこの停留所に車を留めた。
 御嶽山《おんたけさん》を少し進んだ一ツ橋|通《どおり》を右に見る辺りで、この街鉄は、これから御承知のごとく東明館前を通って両国へ行くのである。
「少々お待ちを……」
 と車掌も大事件の肩を掴まえているから、息|急《せ》いて、四五人押込もうとする待合わせの乗組を制しながら、後退《あとじさ》りに身を反《そ》らせて、曲者を釣身に出ると、両手を突張《つっぱ》って礼之進も続いて、どたり。
 後からぞろぞろと七八人、我勝ちに見物に飛出たのがある。事ありと見て、乗ろうとしたのもそのまま足を留めて、押取巻《おっとりま》いた。二人ばかり婦《おんな》も交って。
 外へ、その人数を吐出したの
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