へ飛ぶから間違《まちがい》はないのだが、怪我《けが》に屋根へ落すと、草葺《くさぶき》が多いから過失《あやまち》をしでかすことがある。樹島は心得て吹消した。線香の煙の中へ、色を淡《うす》く分けてスッと蝋燭の香が立つと、かあかあと堪《たま》らなそうに鳴立てる。羽音もきこえて、声の若いのは、仔烏《こがらす》らしい。
「……お食《あが》り。」
それも供養になると聞く。ここにも一羽、とおなじような色の外套《がいとう》に、洋傘《こうもり》を抱いて、ぬいだ中折帽《なかおれ》を持添えたまま葎《むぐら》の中を出たのであった。
赤門寺に限らない。あるいは丘に、坂、谷に、径《こみち》を縫う右左、町家《まちや》が二三軒ずつ門前にあるばかりで、ほとんど寺つづきだと言っても可《い》い。赤門には清正公が祭ってある。北辰妙見《ほくしんみょうけん》の宮、摩利支天の御堂《みどう》、弁財天の祠《ほこら》には名木の紅梅の枝垂《しだ》れつつ咲くのがある。明星の丘の毘沙門天《びしゃもんてん》。虫歯封じに箸《はし》を供うる辻の坂の地蔵菩薩《じぞうぼさつ》。時雨の如意輪観世音。笠守《かさもり》の神。日中《ひなか》も梟《ふくろう》が鳴くという森の奥の虚空蔵堂。――
清水の真空《まそら》の高い丘に、鐘楼を営んだのは、寺号は別にあろう、皆梅鉢寺と覚えている。石段を攀《よ》じた境内の桜のもと、分けて鐘楼の礎《いしずえ》のあたりには、高山植物として、こうした町近くにはほとんどみだされないと称《とな》うる処の、梅鉢草が不思議に咲く。と言伝えて、申すまでもなく、学者が見ても、ただ心ある大人が見ても、類は違うであろうけれども、五弁の小さな白い花を摘んで、小児《こども》たちは嬉しがったものである。――もっとも十《とお》ぐらいまでの小児が、家からここへ来るのには、お弁当が入用《いりよう》だった。――それだけに思出がなお深い。
いま咲く草ではないけれども、土の香を親しんで。……樹島は赤門寺を出てから、仁王尊の大草鞋《おおわらじ》を船にして、寺々の巷《ちまた》を漕《こ》ぐように、秋日和の巡礼街道。――一度この鐘楼に上ったのであったが、攀《よ》じるに急だし、汗には且つなる、地内はいずれ仏神の垂跡《すいじゃく》に面して身がしまる。
旅のつかれも、ともに、吻《ほっ》と一息したのが、いま清水に向った大根畑の縁《へり》であった。
……
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