》よく見まして存じております。いや、どうも。……」
 と胸を抱くように腕を拱《く》んで、
「小僧から仕立てられました、……その師匠に、三年あとになくなられましてな。杖とも柱とも頼みましたものを、とんと途方に暮れております。やっと昨年、真似方《まねかた》の細工場を持ちました。ほんの新店でござります。」
「もし、」
 と、仕切一つ、薄暗い納戸から、優しい女の声がした。
「端本《はほん》になりましたけれど、五六冊ございましたよ。」
「おお、そうか。」
「いや、いまお捜しには及びません。」
 様子を察して樹島が框《かまち》から声を掛けた。
「は、つい。」
「お乳《っぱ》。」
 と可愛い小児《こども》の声する。……
「めめ、覚めて。はい……お乳あげましょうね。」
「のの様、おっぱい。……のの様、おっぱい。」
「まあ、のの様ではありません、母《かあ》ちゃんよ。」
「ううん、欲《ほし》くないの、坊、のんだの、のの様のおっぱい。――お雛様《ひなちゃん》のような、のの様のおっぱい。」
「おや、夢を御覧だね。」
 樹島は肩の震うばかり胸にこたえた。
「嬢ちゃんですか。」
「ええ、もう、年弱《としよわ》の三歳《みッつ》になりますが、ええ、もう、はや――ああ、何、お茶一つ上げんかい。」
 と、茶卓に注《つ》いで出した。
「あ、」
 清水にきぬ洗える美女である。先刻《さっき》のままで、洗いさらした銘仙《めいせん》の半纏《はんてん》を引掛《ひっか》けた。
「先刻は。」
「まあ、あなた。」
「お目にかかったか。」
「ええ、梅鉢寺の清水の処で、――あの、摩耶夫人様のお寺をおききなさいました。」
 渠《かれ》は冷い汗を流した。知らずに聞いた路なのではなかったのである。
「御信心でございますわね。」
 と、熟《じっ》と見た目を、俯目《ふしめ》にぽッと染めた。
 むっくりとした膝を敲《たた》いて、
「それは御縁じゃ――ますます、丹、丹精を抽んでますで。」
「ああ、こちらの御新姐《ごしんぞ》ですか。」
 と、吻《ほっ》として、うっかり言う。
「いや、ええ、その……師、師匠の娘でござりまして。」
「何ですね、――ねえ、……坊や。」
 と、敷居の内へ……片手づきに、納戸へ背向《そがい》に面《おもて》を背けた。
 樹島は謝礼を差出した。出来《しゅったい》の上で、と辞して肯《がえん》ぜぬのを、平にと納めさすと、き
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