れる、雪の降りやんだ、その雲の一方は漆《うるし》のごとく森が黒い。
「不断のことではありませんが、……この、旦那《だんな》、池の水の涸《か》れるところを狙《ねら》うんでございます。鯉《こい》も鮒《ふな》も半分|鰭《ひれ》を出して、あがきがつかないのでございますから。」
「怜悧《りこう》な奴《やつ》だね。」
「馬鹿な人間は困っちまいます――魚《うお》が可哀相《かわいそう》でございますので……そうかと言って、夜一夜《よっぴて》、立番をしてもおられません。旦那、お寒うございます。おしめなさいまし。……そちこち御註文《ごちゅうもん》の時刻でございますから、何か、不手際《ふてぎわ》なものでも見繕って差し上げます。」
「都合がついたら、君が来て一杯、ゆっくりつき合ってくれないか。――私は夜ふかしは平気だから。一所に……ここで飲んでいたら、いくらか案山子《かかし》になるだろう。……」
「――結構でございます。……もう台所は片附きました、追ッつけ伺います。――いたずらな餓鬼どもめ。」
 と、あとを口こごとで、空を睨《にら》みながら、枝をざらざらと潜《くぐ》って行く。
 境は、しかし、あとの窓を閉めなかった。もちろん、ごく細目には引いたが。――実は、雪の池のここへ来て幾羽の鷺の、魚《うお》を狩る状《さま》を、さながら、炬燵で見るお伽話《とぎばなし》の絵のように思ったのである。すわと言えば、追い立つるとも、驚かすとも、その場合のこととして……第一、気もそぞろなことは、二度まで湯殿の湯の音は、いずれの隙間《すきま》からか雪とともに、鷺が起《た》ち込んで浴《ゆあ》みしたろう、とそうさえ思ったほどであった。
 そのままじっと覗《のぞ》いていると、薄黒く、ごそごそと雪を踏んで行く、伊作の袖《そで》の傍《わき》を、ふわりと巴の提灯が点《つ》いて行く。おお今、窓下では提灯を持ってはいなかったようだ。――それに、もうやがて、庭を横ぎって、濡縁《ぬれえん》か、戸口に入りそうだ、と思うまで距《へだ》たった。遠いまで小さく見える、としばらくして、ふとあとへ戻るような、やや大きくなって、あの土間廊下の外の、萱《かや》屋根のつま下をすれずれに、だんだんこなたへ引き返す、引き返すのが、気のせいだか、いつの間にか、中へはいって、土間の暗がりを点《とも》れて来る。……橋がかり、一方が洗面所、突当りが湯殿……ハテナと
前へ 次へ
全33ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング