うに寂寞《ひっそり》しながら、ばちゃんと音がした。ぞッと寒い。湯気が天井から雫になって点滴《したた》るのではなしに、屋根の雪が溶けて落ちるような気勢《けはい》である。
ばちゃん、……ちゃぶりと微《かす》かに湯が動く。とまた得ならず艶《えん》な、しかし冷たい、そして、におやかな、霧に白粉《おしろい》を包んだような、人膚《ひとはだ》の気がすッと肩に絡《まつ》わって、頸《うなじ》を撫《な》でた。
脱ぐはずの衣紋《えもん》をかつしめて、
「お米さんか。」
「いいえ。」
と一呼吸《ひといき》間《ま》を置いて、湯どのの裡《なか》から聞こえたのは、もちろんわが心がわが耳に響いたのであろう。――お米でないのは言うまでもなかったのである。
洗面所の水の音がぴったりやんだ。
思わず立ち竦《すく》んで四辺《あたり》を見た。思い切って、
「入りますよ、御免。」
「いけません。」
と澄みつつ、湯気に濡《ぬ》れ濡《ぬ》れとした声が、はっきり聞こえた。
「勝手にしろ!」
我を忘れて言った時は、もう座敷へ引き返していた。
電燈は明るかった。巴の提灯はこの光に消された。が、水は三筋、さらにさらさらと走っていた。
「馬鹿にしやがる。」
不気味より、凄《すご》いより、なぶられたような、反感が起こって、炬燵《こたつ》へ仰向けにひっくり返った。
しばらくして、境が、飛び上がるように起き直ったのは、すぐ窓の外に、ざぶり、ばちゃばちゃばちゃ、ばちゃ、ちゃッと、けたたましく池の水の掻《か》き攪《みだ》さるる音を聞いたからであった。
「何だろう。」
ばちゃばちゃばちゃ、ちゃッ。
そこへ、ごそごそと池を廻って響いて来た。人の来るのは、なぜか料理番だろうと思ったのは、この池の魚《うお》を愛惜すると、聞いて知ったためである。……
「何だい、どうしたんです。」
雨戸を開けて、一面の雪の色のやや薄い処《ところ》に声を掛けた。その池も白いまで水は少ないのであった。
三
「どっちです、白鷺《しらさぎ》かね、五位鷺《ごいさぎ》かね。」
「ええ――どっちもでございますな。両方だろうと思うんでございますが。」
料理番の伊作は来て、窓下の戸際《とぎわ》に、がッしり腕組をして、うしろ向きに立って言った。
「むこうの山口の大林から下りて来るんでございます。」
言《ことば》の中にも顕《あら》わ
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