っこ》うどと称《とな》えて形も似ている、仙家の美膳《びぜん》、秋はまた自然薯《じねんじょ》、いずれも今時の若がえり法などは大俗で及びも着かぬ。早い話が牡丹《ぼたん》の花片《はなびら》のひたしもの、芍薬《しゃくやく》の酢味噌あえ。――はあはあと、私が感に入って驚くのを、おかしがって、何、牡丹のひたしものといった処で、一輪ずつ枝を折る殺風景には及ばない、いけ花の散ったのを集めても結構よろしい。しかし、贅沢といえば、まことに蘭飯《らんぱん》と称して、蘭の花をたき込んだ飯がある、禅家の鳳膸《ほうずい》、これは、不老の薬と申しても可《い》い。――御主人――これなら無事でしょう。まずこの辺までは芥川さんに話しても、白い頬を窪まし、口許《くちもと》に手を当てて頷《うなず》いていましょうがね、……あとが少しむずかしい。――
 私はその時は、はじめから、もと三島へ下りて、一汽車だけ、いつも電車でばかり見て通る、あの、何とも言えない路傍《みちばた》の綺麗な流《ながれ》を、もっとずッと奥まで見たいと思っていましたから。」
「すなわち、化粧の水ですな。」
「お待ちなさい。そんな流《ながれ》の末じゃあ決してない。朝日でとけた白雪を、そのまま見たかったのに相違ないのです。三島で下りると言うと、居士が一所に参って、三島の水案内をしようと言います。辞退をしましたが、いや、是非ひとつ、で、私は恐縮をしたんですがね。実は余り恐縮をしなくても可《よ》さそうでしたよ。御隠居様、御機嫌よう、と乗合わせた近まわりの人らしいのが、お婆さんも、娘も、どこかの商人らしいのも、三人まで、小さな荷ですが一つ一つ手伝いましてね、なかなかどうして礼拝されます。が、この人たちの前、ちと三島で下りるのが擽《くすぐ》ったかったらしい。いいかこつけで、私は風流の道づれにされた次第だ。停車場《ステェション》前の茶店も馴染《なじみ》と見えて、そこで、私のも一所に荷を預けて、それから出掛けたんですが――これがずッとそれ、昔の東海道、箱根のお関所を成りたけ早めに越して、臼《うす》ころばしから向う阪をさがりに、見ると、河原前の橋を掛けてこの三島の両側に、ちらちら灯が見えようというのでと――どこか、壁張りの古い絵ほどに俤《おもかげ》の見える、真昼で、ひっそりした町を指さされたあたりから、両側の家の、こう冷い湿《しめっ》ぽい裡《なか》から、暗い白粉《おしろい》だの、赤い油だのが、何となく匂って来ると――昔を偲《しの》ぶ、――いや、宿《しゅく》のなごりとは申す条、通り筋に、あらわな売色のかかる体裁は大《おおい》に風俗を害しますわい、と言う。その右斜《みぎななめ》な二階の廊下に、欄干に白い手を掛けて立っていた、媚《なまめ》かしい女があります。切組の板で半身です、が、少し伸上るようにしたから、帯腰がすらりと見える。……水浅葱《みずあさぎ》の手絡《てがら》で円髷《まるまげ》に艶々《つやつや》と結ったのが、こう、三島の宿を通りかかる私たちの上から覗《のぞ》くように少し乗出したと思うと、――えへん!……居士が大《おおき》な咳《せき》をしました。女がひょいと顔をそらして廂《ひさし》へうつむくと、猫が隣りから屋根づたいに、伝うのです。どうも割合に暑うごすと、居士は土耳古帽《トルコぼう》を取って、きちんと畳んだ手拭《てぬぐい》で、汗を拭《ふ》きましたっけ。……」
 主人も何となく中折帽《なかおれぼう》の工合《ぐあい》を直して、そしてクスクスと笑った。
「御主人の前で、何も地理を説く要はない。――御修繕中でありました。神社へ参詣をして、裏門の森を抜けて、一度ちょっと田畝道《たんぼみち》を抜けましたがね、穀蔵《こくぐら》、もの置蔵などの並んだ処を通って、昔の屋敷町といったのへ入って、それから榎《えのき》の宮八幡宮――この境内が、ほとんど水源と申して宜《よろ》しい、白雪のとけて湧《わ》く処、と居士が言います。……榎は榎、大楠《おおくす》、老樫《ふるかし》、森々《しんしん》と暗く聳《そび》えて、瑠璃《るり》、瑪瑙《めのう》の盤、また薬研《やげん》が幾つも並んだように、蟠《わだかま》った樹の根の脈々、巌《いわ》の底、青い小石一つの、その下からも、むくむくとも噴出さず、ちろちろちろちろと銀の鈴の舞うように湧いています。不躾《ぶしつけ》ですが、御手洗《みたらし》で清めた指で触って見ました。冷い事、氷のようです。湧いて響くのが一粒ずつ、掌《てのひら》に玉を拾うそうに思われましたよ。
 あとへ引返して、すぐ宮前の通《とおり》から、小橋を一つ、そこも水が走っている、門ばかり、家は形もない――潜門《くぐりもん》を押して入ると――植木屋らしいのが三四人、土をほって、運んでいました。」
 ――別荘の売りものを、料理屋が建直すのだったそうである。

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