目が覚めた。――ついてはだ。」
二十七
「――賛成だ、至極いいよ。私たち風来とは違って、矢野には学士の肩書がある。――御縁談は、と来ると、悪く老成《おやじ》じみるが仕方がない……として、わけなく絡《まとま》るだろうと思うがね、実はこのお取次は、私じゃ不可《まず》いよ。」
「そう、そう、そう来るだろうと思ったんだ。が、こうなれば刺違えても今更糸|的《こう》に譲って、指を銜《くわ》えて、引込《ひっこ》みはしない。」
と、わざとらしいまで、膝の上で拳《こぶし》を握ると、糸七は気《け》もない顔で、
「何を刺違えるんだ、間違えているんだろう。」
「だってそうじゃないか、いつか雑誌に写真が出ていたそうだが、そんなものはほとんど眼中になかった。今朝の雪は不意打さ。俥で帰ると、追分で一生の道が南北へ分れるのを、ほんとうに一呼吸という処で、不思議な縁で……どうも言う事が甘ったるいが、どうもどうも、腹の底まで汁粉に化けた。
――氷月の雪の枝折戸《しおりど》を、片手ざしの渋蛇目傘《しぶじゃのめ》で、衝《つ》いて入るように褄《つま》を上げた雨衣《あまぐ》の裾の板じめだか、鹿子絞りだか、あの緋色がよ、またただ美しさじゃない、清さ、と云ったら。……ここをいうのだ、茶屋の女房の浅黄縮緬のちらちらなぞは、突っくるみものの寄切《よせぎれ》だよ、……目も覚め、心《むね》に沁《し》みようじゃないか。
……同時に、時々の出入りとまでしばしばでなくても、同門の友輩《ともだち》で知合ってる糸|的《こう》が、少くとも、岡惚れを。」
「その事かい、何だ。」
と笑いもカラカラと五徳に響いて、煙管を払《はた》いた。
「対手《あいて》は素人だ、憚《はばか》りながら。」
「昨夜《ゆうべ》振られてもかい。」
「勿論。」
「直言を感謝す。」
と俯向《うつむ》いて、袖口をのばすように膝に手を長く置き、
「人|壮《さか》んなる時は、娘に勝ち、人衰うる時は女房が欲しい。……その意気だ。が、そうすると、話に乗ってくれるのに、また何が不都合だろう。」
「月村と性《しょう》が合わないんだ。先方《さき》は言うまでもなかろうが、私も虫が好かないんだ。前《ぜん》にね、月村が随筆を書いた事がある。燈籠見に誘われて、はじめて廓《くるわ》を覗《のぞ》いたというんだがね、雑誌の編輯でも、女というと優待するよ。――年方《としかた》の挿絵でね、編中の見物の中に月村の似顔の娘が立っている。」
「素晴しいね。早速捜そう。」
「見るんなら内にあるよ。その随筆だがね、足が土についていない。お高く中洲の中二階、いや三階あたりに。――政党出の府会議員――一雪の親だよ――その令嬢が、自分一人。女は生れさえすりゃ誰でも処女だ、純潔だのに、一人で純潔がって廓の売色を、汚《けが》れた、頽《ただ》れた、浅ましい、とその上に、余計な事を、あわれがって、慈善家がって、異《おつ》う済まして、ツンと気取った。」
「おおおお念入りだ。」
「そいつが癪《しゃく》に障ったから。――折から、焼芋(訂正)真珠を、食過ぎたせいか、私が脚気《かっけ》になってね。」
「色気がないなあ。」
「祖母《としより》に小豆を煮て貰って、三度、三度。」
「止《よ》せよ、……今、酒を追加する……小豆は意気を銷沈《しょうちん》せしめる。」
「意気銷沈より脚気|衝心《しょうしん》が可恐《こわ》かったんだ。――そこで、その小豆を喰いながら、私《わたい》らが、売女なら、どうしよってんだい、小姐《ちいねえ》さん、内々の紐が、ぶら下ったり、爪の掃除をしない方が、余程《よっぽど》汚れた、頽れた、浅ましい。……塩みがきの私らを大きにお世話だ、お茶でもあがれ、とべっかっこをして見せた。」
「そうだろう、べっかっこでなくっちゃ筋は通らない。まともに弁じて、汚れた売女を憎んだのじゃない、あわれんだに……無理はないから。」
「勿論、つけた題が『べっかっこ。』さ――」
「見たいな、糸七……本名か。」
「まさか――署名は――江戸町河岸の、紫。おなじ雑誌の翌月の雑録さ。令嬢は随。……野郎は雑。――編輯部の取扱いが違うんだ。」
「辛うじて一坂越したよ、お互に、静かに、静かに。」
弦光は一息ふッ、日のあたる窓下の机の埃《ほこり》を吹き、吹いた後を絹切で掃《はら》った。
二十八
「それでも、上杉先生の、詞成堂――台町の山の屋敷の庭続き崖下にある破《やれ》借家……矢野も二三度遊びに行ったね、あの塾の、小部屋小部屋に割居して、世間ものの活字にはまだ一度も文選されない、雑誌の半面、新聞の五行でも、そいつを狙って、鷹の目、梟《ふくろう》の爪で、待機中の友達のね、墨色の薄いのと、字の拙《まず》いのばかり、先生にまだしも叱正を得て、色の恋のと、少しばかり甘たれかかると、たち
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