なたも、こんな、私のようなものの処へおいで下すった因果に、何事も忘れてお聞き下さい。
 その蚤だか虱だかを捻る片手間に、部屋から下ったという蕎麦の残り、伸びて、蚯蚓《みみず》のようにのたくるのを撮《つま》んじゃ食い、撮んじゃ食う。そこをまた、牙と舌を剥出《むきだ》して、犬ですね、狆《ちん》か面《つら》の長い洋犬などならまだしも、尻尾を捲上《まきあ》げて、耳の押立《おった》った、痩せて赤剥《あかはげ》だらけなのが喘《あえ》ぎながら掻食《かっくら》う、と云っただけでも浅ましさが――ああ、そうだ。」
 糸七は煙管を落した。
「あなたの吉原の随筆は、たしか、題は『あさましきもの。』でしたね。私が飛んだ『べッかッこ』をした。」
「もう、どうぞ。」
 お京は膝に袖を千鳥に掛けたまま、雌浪《めなみ》を柔《やわらか》に肩に打たせた。
「大目玉を頂きましたよ、先生に。」
「もうどうぞ、ご堪忍。」
「いや、お詫びは私こそ、いわばやっぱりあなたの罰です。その「浅ましい」一つの穴で……部屋は真暗《まっくら》、がたがた廊下の曲角に、洋鉄《ブリキ》の洋燈《ランプ》一つ。余り情《なさけ》ない、「あかりが欲《ほし》い。」……「蝋燭代を別に出せ。」で、奈落に落ちて一夜あける、と勘定は一度済ましたんですが、茶を一杯にも附足しの再勘定、その勘定書を、その勘定を催促しても、わざと待たして持って来ません。これが、ぼると言います。阿漕《あこぎ》な術《やつ》です。はめられたんです。といううちに、朝直し……遊蕩《あそび》が二度|振《ぶり》になって、また、前勘定、このつけを出されると、金が足りない、足りないどころですか、まるで始末が出来ないのです。
 ――「あさましきもの」が引受けてくれました、暑いのに、破屏風《やぶれびょうぶ》にすくんで、かびた蒲団に縮まったありさまは、人間に、そのまま草が生えそうです。無面目《むめんぼく》で廊下へ顔も出せません。お螻《けら》の兄さん、ちと、ご運動とか云って、「あさましきもの」に廊下へ連出されると、トトトン、トトトンと太鼓の音。それを、欄干《てすり》から覗《のぞ》きますとね、漬物|桶《おけ》、炭俵と並んで、小さな堂があって、子供が四五人――午《うま》の日でした。お稲荷講、万年講、お稲荷さんのお初穂《はつ》。「お初穂よ、」といって、女がお捻《ひねり》を下へ投げると、揃って上を向いた。
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