茶店が一張《ひとはり》。片側に立樹の茂った空地の森を風情にして、如法《にょほう》の婆さんが煮ばなを商う。これは無くてはなるまい。あの、火薬庫を前途《まえ》にして目黒へ通う赤い道は、かかる秋の日も見るからに暑くるしく、並木の松が欲しそうであるから。
老人は通りがかりにこれを見ると、きちんと畳んだ手拭で額の汗を拭《ふ》きながら、端の方の床几《しょうぎ》に掛けた。
「御免なさいよ。」
「はいはい、結構なお日和《ひより》でございます。」
「されば……じゃが、歩行《ある》くにはちと陽気過ぎますの。」
と今時、珍しいまで躾《たしなみ》の可《い》い扇子を抜く。
「いえ、御隠居様、こうして日蔭に居《お》りましても汗が出ますでございますよ。何ぞ、シトロンかサイダアでもめしあがりますか。」と商売は馴《な》れたもの。
「いやいや、老人《としより》の冷水とやら申す、馴れた口です。お茶を下され。」
「はいはい。」
ちと横幅の広い、元気らしい婆さん。とぼけた手拭、片襷《かただすき》で、古ぼけた塗盆へ、ぐいと一つ形容の拭巾《ふきん》をくれつつ、
「おや、坊ちゃん、お嬢様。」と言う。
十一二の編《あみ》さげで、袖《そで》の長いのが、後《あと》について、七八ツのが森の下へ、兎《うさぎ》と色鳥ひらりと入った。葭簀|越《ごし》に、老人はこれを透かして、
「ああ、その森の中は通抜けが出来ますかの。」
「これは、余所《よそ》のお邸《やしき》様の持地《もちじ》でございまして、はい、いいえ、小児衆《こどもしゅ》は木の実を拾いに入りますのでございますよ。」
「出口に迷いはしませんかの、見受けた処、なかなかどうも、奥が深い。」
「もう口許《くちもと》だけでございます。で、ございますから、榎《えのき》の実に団栗《どんぐり》ぐらい拾いますので、ずっと中へ入りますれば、栗も椎《しい》もございますが、よくいたしたもので、そこまでは、可恐《こわ》がって、お幼《ちいさ》いのは、おいたが出来ないのでございます。」
「ははあいかにもの。」
と、飲んだ茶と一緒に、したたか感心して、
「これぞ、自然《おのずから》なる要害、樹の根の乱杭《らんぐい》、枝葉《えだは》の逆茂木《さかもぎ》とある……広大な空地じゃな。」
「隠居さん、一つお買いなすっちゃどうです。」
と唐突《だしぬけ》に云った。土方|体《てい》の半纏着《はんてんぎ》が一人、床几は奥にも空いたのに、婆さんの居る腰掛を小楯《こだて》に踞《しゃが》んで、梨の皮を剥《む》いていたのが、ぺろりと、白い横銜《よこぐわ》えに声を掛ける。
真顔に、熟《じっ》と肩を細く、膝頭《ひざがしら》に手を置いて、
「滅相もない事を。老人若い時に覚えがあります。今とてもじゃ、足腰が丈夫ならば、飛脚なと致いて通ってみたい。ああ、それもならず……」
と思入ったらしく歎息《ためいき》したので、成程、服装《みなり》とても秋日和の遊びと見えぬ。この老人《としより》の用ありそうな身過ぎのため、と見て取ると、半纏着は気を打って、悄気《しょげ》た顔をして、剥いて落した梨の皮をくるくると指に巻いて、つまらなく笑いながら、
「ははは、野原や、山路《やまみち》のような事を言ってなさらあ、ははは。」
「いやいや、まるで方角の知れぬ奥山へでも入ったようじゃ。昼日中|提灯《ちょうちん》でも松明《たいまつ》でも点《つ》けたらばと思う気がします。」
がっくりと俯向《うつむ》いて、
「頭《つむり》ばかりは光れども……」
つるりと撫《な》でた手、頸《ぼん》の窪《くぼ》。
「足許は暗《やみ》じゃが、のう。」と悄《しお》れた肩して膝ばかり、きちんと正しい扇を笏《しゃく》。
と、思わず釣込まれたようになって、二人とも何かそこへ落ちたように、きょろきょろと土間を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》す。葭簀《よしず》の屋根に二葉三葉。森の影は床几に迫って、雲の白い蒼空《あおぞら》から、木《こ》の実が降って来たようであった。
三
半纏着は、急に日が蔭ったような足許《あしもと》から、目を上げて、兀《は》げた老人《としより》の頭《つむり》と、手に持った梨の実の白いのを見較べる。
婆さんが口を出して、
「御隠居様は御遠方でいらっしゃるのでございますか。」
「下谷《したや》じゃ。」
「そいつあ遠いや、電車でも御大抵じゃねえ。へい、そしてどちらへお越しになるんで。」
「いささかこの辺《あたり》へ用事があっての。当年たった一度、極暑《ごくしょ》の砌《みぎり》参ったばかり、一向に覚束《おぼつか》ない。その節通りがかりに見ました、大《おおき》な学校を当《あて》にいたした処、唯今《ただいま》立寄って見れば門が違うた。」
腕を伸《のば》して、来た方を指《ゆびさ》すと共に、斉《
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