《あ》せたを着、焦茶の織ものの帯を胴ぶくれに、懐大きく、腰下りに締めた、顔は瘠《や》せた、が、目じしの落ちない、鼻筋の通ったお爺《じい》さん。
 眼鏡《めがね》はありませんか。緑青色の鳶だと言う、それは聖心女子院とか称《とな》うる女学校の屋根に立った避雷針の矢の根である。
 もっとも鳥居|数《かず》は潜《くぐ》っても、世智に長《た》けてはいそうにない。
 ここに廻って来る途中、三光坂を上《あが》った処で、こう云って路《みち》を尋ねた……
「率爾《そつじ》ながら、ちとものを、ちとものを。」
 問われたのは、ふらんねるの茶色なのに、白縮緬《しろちりめん》の兵児帯《へこおび》を締めた髭《ひげ》の有る人だから、事が手軽に行《ゆ》かない。――但し大きな海軍帽を仰向《あおむ》けに被《かぶ》せた二歳ぐらいの男の児《こ》を載せた乳母車を曳《ひ》いて、その坂路《さかみち》を横押《よこおし》に押してニタニタと笑いながら歩行《ある》いていたから、親子の情愛は御存じであろうけれども、他人に路を訊《き》かれて喜んで教えるような江戸児《えどっこ》ではない。
 黙然《だんまり》で、眉と髭と、面中《つらじゅう》の威厳を緊張せしめる。
 老人もう一倍腰を屈《かが》めて、
「えい、この辺に聖人と申す学校がござりまする筈《はず》で。」
「知らん。」と、苦い顔で極附《きめつ》けるように云った。
「はッ、これはこれは御無礼至極な儀を、実《まこと》に御歩《おみあし》を留めました。」
 がたがたと下りかかる大八車を、ひょいと避けて、挨拶《あいさつ》に外した手拭も被らず、そのまま、とぼんと行《ゆ》く。頭《つむり》の法体《ほったい》に対しても、余り冷淡だったのが気の毒になったのか。
「ああ聖心女学校ではないのかい、それなら有ッじゃね。」
「や、女子《おなご》の学校?」
「そうですッ。そして聖人ではない、聖心、心《こころ》ですが。」
「いかさま、そうもござりましょう。実はせんだって通掛《とおりかか》りに見ました。聖、何とやらある故に、聖人と覚えました。いや、老人|粗忽《そこつ》千万。」
 と照れたようにその頭をびたり……といった爺様《じいさま》なのである。

       二

 その女学校の門を通過ぎた処に、以前は草鞋《わらじ》でも振《ぶ》ら下げて売ったろう。葭簀張《よしずばり》ながら二坪ばかり囲《かこい》を取った
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