あと》へ続くには堪へられぬ。
其処《そこ》で滝の道を訊いて――此処《ここ》へ来た。――
泉殿《せんでん》に擬《なぞら》へた、飛々《とびとび》の亭《ちん》の孰《いず》れかに、邯鄲《かんたん》の石の手水鉢《ちょうずばち》、名品、と教へられたが、水の音より蝉《せみ》の声。で、勝手に通抜《とおりぬ》けの出来る茶屋は、昼寝の半《なか》ばらしい。何《ど》の座敷も寂寞《ひっそり》して人気勢《ひとけはい》もなかつた。
御歯黒蜻蛉《おはぐろとんぼ》が、鉄漿《かね》つけた女房《にょうぼ》の、微《かすか》な夢の影らしく、ひら/\と一つ、葉ばかりの燕子花《かきつばた》を伝つて飛ぶのが、此のあたり御殿女中の逍遙《しょうよう》した昔の幻を、寂《さび》しく描いて、都を出た日、遠く来た旅を思はせる。
すべて旧藩侯《きゅうはんこう》の庭園だ、と言ふにつけても、贈主《おくりぬし》なる貴公子の面影《おもかげ》さへ浮ぶ、伯爵の鸚鵡《おうむ》を何《なん》とせう。
霊廟《れいびょう》の土の瘧《おこり》を落し、秘符《ひふ》の威徳の鬼を追ふやう、立処《たちどころ》に坊主の虫歯を癒《いや》したは然《さ》ることながら、路々《みちみち》も悪臭《わるぐさ》さの消えないばかりか、口中《こうちゅう》の臭気は、次第に持つ手を伝《つたわ》つて、袖《そで》にも移りさうに思はれる。
紫玉は、樹の下に涼傘《ひがさ》を畳《たた》んで、滝を斜めに視《み》つゝ、池の縁《へり》に低く居た。
滝は、旱《ひでり》に爾《しか》く骨なりと雖《いえど》も、巌《いわお》には苔蒸《こけむ》し、壺《つぼ》は森を被《かつ》いで蒼《あお》い。然《しか》も巌《いわ》がくれの裏に、どうどうと落ちたぎる水の音の凄《すさま》じく響くのは、大樋《おおどい》を伏せて二重に城の用水を引いた、敵に対する要害で、地下を城の内濠《うちぼり》に灌《そそ》ぐと聞く、戦国の余残《なごり》ださうである。
紫玉は釵《かんざし》を洗つた。……艶《えん》なる女優の心を得た池の面《おも》は、萌黄《もえぎ》の薄絹《うすぎぬ》の如く波を伸《の》べつゝ拭《ぬぐ》つて、清めるばかりに見えたのに、取つて黒髪に挿《さ》さうとすると、些《ちっ》と離したくらゐでは、耳の辺《はた》へも寄せられぬ。鼻を衝《つ》いて、ツンと臭《くさ》い。
「あ、」と声を立てたほどである。
雫《しずく》を切ると、雫まで芬《ぷん》と臭《にお》ふ。たとへば貴重なる香水の薫《かおり》の一滴の散るやうに、洗へば洗ふほど流せば流すほど香《か》が広がる。……二三度、四五度、繰返すうちに、指にも、手にも、果《はて》は指環の緑碧紅黄《りょくへきこうこう》の珠玉《しゅぎょく》の数にも、言ひやうのない悪臭《あくしゅう》が蒸《いき》れ掛《かか》るやうに思はれたので。……
「えゝ。」
紫玉はスツと立つて、手のはずみで一振《ひとふり》振つた。
「ぬしにお成りよ。」
白金《プラチナ》の羽《はね》の散る状《さま》に、ちら/\と映ると、釵《かんざし》は滝壺《たきつぼ》に真蒼《まっさお》な水に沈んで行く。……あはれ、呪はれたる仙禽《せんきん》よ。卿《おんみ》は熱帯の鬱林《うつりん》に放たれずして、山地《さんち》の碧潭《へきたん》に謫《たく》されたのである。……ト此の奇異なる珍客を迎ふるか、不可思議の獲《え》ものに競《きそ》ふか、静《しずか》なる池の面《も》に、眠れる魚《うお》の如く縦横《じゅうおう》に横《よこた》はつた、樹の枝々の影は、尾鰭《おひれ》を跳ねて、幾千ともなく、一時《いちどき》に皆|揺動《ゆれうご》いた。
此に悚然《ぞっ》とした状《さま》に、一度すぼめた袖を、はら/\と翼の如く搏《たた》いたのは、紫玉が、可厭《いとわ》しき移香《うつりが》を払ふとともに、高貴なる鸚鵡を思ひ切つた、安からぬ胸の波動で、尚《な》ほ且《か》つ飜々《はらはら》とふるひながら、衝《つ》と飛退《とびの》くやうに、滝の下行く桟道《さんどう》の橋に退《の》いた。
石の反橋《そりはし》である。巌《いわ》と石の、いづれにも累《かさな》れる牡丹《ぼたん》の花の如きを、左右に築き上げた、銘《めい》を石橋《しゃっきょう》と言ふ、反橋《そりはし》の石の真中に立つて、吻《ほ》と一息《ひといき》した紫玉は、此の時、すらりと、脊《せ》も心も高かつた。
七
明眸《めいぼう》の左右に樹立《こだち》が分れて、一条《ひとすじ》の大道《だいどう》、炎天の下《もと》に展《ひら》けつゝ、日盛《ひざかり》の町の大路《おおじ》が望まれて、煉瓦造《れんがづくり》の避雷針、古い白壁《しらかべ》、寺の塔など睫《まつげ》を擽《こそぐ》る中に、行交《ゆきか》ふ人は点々と蝙蝠《こうもり》の如く、電車は光りながら山椒魚《さんしょううお》の這《は》ふのに似
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